路傍の音楽


生活科学科 箕浦 一哉

この春まで私は関西に住んでいたが,1年くらい前から,駅の近くなどでギターを鳴らしながら歌を歌う若い人たちの姿を頻繁に見かけるようになった。それ以前にも路上での演奏を見かけることはあったが,彼らは明らかに新種だった。たいていはお世辞にも上手いとは言えず,行き交う人々も足を止めることはない。もっとも彼らは,別にそれほど町の人に聴いてもらいたいというわけでもなく,ただそういうスタイルを自ら楽しんでいる風に見える。ギターを弾きながら歌うのは男性2人,その前に友人とおぼしき女性2人がしゃがみこんで聞いている,というのが典型的な風景だ。大阪の梅田や神戸の三宮というような大きな駅だけでなく,私の住居の最寄りの私鉄の普通電車しか止まらない小さな駅でも見かけることがあった。

聞くところによれば,こうした風景は全国的に現れてきたもののようだ。「ゆず」や「Something Else」などのミュージシャンの影響だろう。甲府に来てからも似たような風景に出会うことがあった。おそらくはそのうち消えてしまう単なる流行現象なのであろうが,カラオケボックスに囲い込まれていた歌が町に溢れ出す兆しであるとすれば面白い。

大阪や神戸では,時に不思議な路上音楽家に遭遇することがあった。大阪駅前で民族衣装で着飾った白人がバグパイプを奏でているのに出会ったことがある。困ったことにバグパイプの音楽は抑揚が無く曲も切れ目なく延々続くので,拍手をするタイミングもない。しかも大変人通りの多いところで演奏しているので,立ち止まって聴くことすらままならない。鳴り続けるバグパイプとせわしなく行き交う人の波の対比は,なかなか面白い風景であった。

三宮では,馬頭琴を弾きながらホーミーで歌う日本人男性に遭遇した。ホーミーとはモンゴルの独特な歌唱法で,声の倍音を口腔に共鳴させて2つの音程を同時に出すものである。ホーミーを知らなければ(いや,知っていても),彼は不思議な音を出している怪しい人であり,道行く人々も遠巻きに様子をうかがうようにして見ていた。この風景も何やら可笑しいものであった。

私が出会った路上の音楽の中で最も強烈であったのは,大阪・天王寺公園横の路上で繰り広げられる「青空カラオケ」である。ガソリン発電器で8トラックカセットのカラオケを大音量で鳴らし,1曲200円で歌わせる。これが200mほどの間に2,3軒営業している。釜ヶ崎のおじさんたちの憩いの場となっており,衣装を着込んで熱唱したり踊ったりしている人も見られる。同じ日本とは思えない別世界のような風景であり,大阪観光に来た友人を私が案内するときには必ずここへ連れて行ったものである。

私はこのような路傍の音楽家たちを見かけると嬉しくなる。たとえ彼らの音楽そのものは楽しめなかったとしても,音楽を演っている楽しさが見ている方にも伝わってきて気分が明るくなるのであろう。コンサートやイベントでなく,日常生活の中で偶然に出会う,というのがまたいい。甲府は車社会なので,こうした楽しみが少ないのがやや残念である。

(2000/05/19)


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