ふじざくら No.21

山梨県立女子短期大学図書館(2004.3)




「私たちの遺伝子はどうなる?」


生活科学科教授 吉田雅彦


 2003年は、J.D. Watoson と F.H.C. Crick がDNA の二重らせん構造モデルをNature に発表して50周年の記念すべき年であった。 1953年4月25日号に掲載された、1ページほどの論文が(その後この研究で彼らはノーベル医学・生理学賞を受賞するのだが)、それまでのDNA に関するいくつかの構造データを見事なまでに実証したからである。彼らは理論だけではなく、実際に針金と板を使ってDNA の基本構造分子を組み立ててしまった。組み立てられた二重らせんの分子模型は、実にシンプルで美しく、全ての研究者を納得させる構造であった。そして、この構造の正しさはその後の研究によって証明されたのである。彼らの業績は、生物の基本的性質である自己複製すなわち遺伝という現象が、分子レベルすなわちDNAの塩基配列(並んでいる順番)によって説明できるという点で画期的であった。この論文のもつ意義は重大であって、生物学における革命であり、20世紀の科学における最高の業績とも言われている。この論文を契機に、分子生物学が大いに発展し、その後の数多くの研究で、「DNA → RNA → タンパク質」という分子生物学のセントラルドグマが確立した。そして現在、医学・薬学・生物学のみならず多くの分野で、私たちはその恩恵に浴している。
 それから50年目に、分子生物学にとってもう一つ大きな事業がなされた。それは「ヒトゲノムの全塩基配列」が4月に決定したことである。普通の生物においては、自己複製するための遺伝情報を染色体のDNA が担っていることは、今では生物学を少し学んだ人であればご存じだろう。ヒトのDNAには約30億の塩基が存在しているが、この配列をすべて明らかにすることが、ヒトゲノム解読計画であった。
 1990年から始まったこの計画に日本の研究者も多く参加した。開始当時は15年かかるといわれていたが、配列分析機器の開発により2年ほど早く終了した。この計画は結果的には全世界の研究者の共同作業によりなされたが、当初アメリカの民間企業が遺伝情報の独占(特許)をねらって始めていた。そのためいくつかの問題が起こったが、幸いなことにこのヒトゲノムの情報は無料公開されることになった。どの遺伝子が何の役割をしているかが解明されれば、病気の治療や新薬の開発に役立つだろう。しかし一歩誤ると大きな問題を引き起こしそうである。たとえば受精卵の着床前診断による子の選別、ヒトへの遺伝子組み替え技術の導入などである(農作物などではすでに行われているが)。結果として、IQの高い子を作る。運動能力の優れた選手を作る。ゴルゴ13のような兵士を作る。その応用に不安を持つのは私だけであろうか・・・。皆さんにも科学技術の進歩に常に目を向けてもらいたいものである。

Nature, Vol.171(No.4356) p737-738 (April 25,1953)
ジェームズ・ワトソン著「二重らせん」(江上不二夫・中村桂子訳、講談社、1986)
ポーチュガル・コーエン著「DNAの一世紀U」(杉野義信・杉野奈保野訳、岩波現代選書)






本学先生の研究書紹介

『山梨県の百年』

有泉貞夫 編著(山川出版 2003年8月刊)

歴史から地域と生活を考える
-----『山梨県の百年』を読む 


国際教養科教授・図書館長 島袋善弘


 50−60年前の昭和戦前期のことは、近代史の中ではつい最近のことのようでもある(私たちの周りにこの時代を生きてきた人は少なくない)。この時期に起きたことは、現在の私たちの生活からは想像しにくいことが多いが、違った形で繰り返されることもある。 時代の大きな波、小さな波、穏やかな海、荒れる海にもまれながら生きてきた日本の、地域の人々の生活を受け継いで今の私たちがある。受け継いだ歴史を知ることは、私たち自身を知ることであり、こらからの私たちの生き方を考えることでもある。
 2003年8月に有泉貞夫編著『山梨県の百年』(吉川弘文館)が出版された。私はその うち「昭和戦前期」の部分を分担して書いた。
 さて昭和前期の山梨県はどのような生活を刻んだであろうか。苦しい経済生活を強いられた昭和恐慌、そこから回復して洋食や映画やダンスを楽しみ、モダン・ボーイやモダン・ガールが時代を謳歌した恐慌後の都市生活、ぶどうや桃やワインの生産に知恵を働かせた農村の人々など様々な事実を織り込みながら地域の生活が刻まれてきた。その中に戦争と戦時中の出来事があった。戦争は悲惨であった。食糧不足の空腹の思い(数ヶ月も続く空腹である)や甲府空襲での千人を超える死者・行方不明者と焼け野原となった甲府市街など様々な出来事が次々に起こった。最も悲劇的な出来事は「満州」開拓移民であった。中巨摩郡豊村(櫛形町→現南アルプス市)の開拓移民は惨たるものであった。それは次のように記される。


「農業開拓移民として渡満した人びとは、昭和20年8月9日ソビエト軍の満州侵攻により、地獄に突き落とされた。豊分村開拓団には8月13日に大量の招集令状が届き、村に残された老人と子どもばかりのところへ、8月16〜17日に現地人武装ゲリラがおそい、絶望的な状況となった。8月17日、200本余りのダイナマイトを囲んだ村民は、点火・自爆をとげた。この自爆と直前の戦闘で157人の生命が奪われた」(p.210)

 文章になった出来事は冷たい。157という数は単なる数字としての意味しか持たない。そしてこの数の背景には、死者の無念や親族・友人・知人、送り出した村人の思いは伝わってこない。157人の死者には生きていたときの希望や理想・楽しみ・苦しみ・愛と憎しみなどが折り重なっていたことは確実である。豊村の人々のいろいろな立場に立って思いをめぐらせるのも地域と歴史と私たちをつなぐ一つの手がかりとなる(近くに生きた人々のことだから思いを巡らせることができる)。
 現在、不況の苦しみの中でも生活を楽しむこと、知恵(創造性)を発揮することは必要とされている、また戦争との関わりは他人事ではない状況が出来しつつある。歴史は繰り返すように見えるけれども形を変えるものである。私たちはその中で楽しみを持ち、時に悩みつつ、私たちの生きる時代をつくり、地域の歴史を刻んでゆくことになる。 そのようにして作られる地域の歴史は私たちの歴史でもある。


男女共同参画◎山梨からの発信
『0歳からのジェンダー・フリー』


山梨県立女子短大ジェンダー研究プロジェクト&私らしく、あなたらしく*やまなし 編(生活思想社、2003年10月刊)


幼児教育科教授 池田政子


 「女の子だから、かわいいピンクの服」「元気に泣くのは男の子」 ――子どもたちはもう赤ちゃんのときから、「女の子/男の子」 で違う扱いをされて育ちます。そういう子育ての仕方は、ひとり ひとりの子どもが「自分らしく」育つことを邪魔してしまうので はないか。「女だから、男だから」という枠で縛らずに、その子の個性が発揮できるような子育てや保育をしようよ。それがこの本のテーマです。
 5年前に、本学の幼児教育科と一般教育の教員11人で「山梨県立女子短期大学ジェンダー・フリー教育プログラム研究会」を立ち上げ、文部科学省の委嘱事業などを実施しました。その経緯をまとめた本書は、大学が、保育所や幼稚園、子育て支援センター、そして「男女共同参画」の地域づくりの活動など、地域のさまざまな立場の人々と協働して、乳幼児期のジェンダー・フリーをテーマとした研究やワークショップ、研修会などを行った、全国的にも珍しい事業の記録となりました。幼児教育科のみなさんが実習に行く進徳幼稚園、社会人入学の先輩でもあるチャイルドルームまみい(保育所)の乙黒いく子園長、子育て支援センターちびっこはうすの宮沢由佳さん(本学非常勤講師)など、本学にご縁のある方々が、ジェンダーの問題をどう考え、ジェンダー・フリーをそれぞれの「場」でどう実践しようとしたか、その気づきや迷い、具体的な方法を、いきいきと書いてくださっています。幼児教育科の学生さんはもちろん、他学科の方もきっとどなたかの文章に共感し、自分の生き方を考える新しい視点を見つけていただけると思います。
 さて、この本を出版してくれたのは、編集、事務、営業、社長業、そして東京飯田橋にある築数十年の古ーーい雑居ビルの5階に刷りたての本を運び上げたり下ろしたりすることまで(だって、エレベーターが無いから)、全部(!)たった一人の女性がやっている出版社です。「へーぇ、その社長さん、どんな人?」と思う方は、どうぞ4月から「女性学入門」の授業を受けてください。五十嵐美那子社長が、講義に来てくださる予定です。
 五十嵐さんによると、そういうほんとに小さな出版社から出した本にしては、とても売れ行きが好調なのだそうです。もし、買って読んでみたいと思う方は、どうぞ私の研究室においでください(著者割引できます)。
 たくさんの先生方が書いていますので、それぞれサインをもらって、卒業記念(?)にしていただけると、そしてもちろん、よく味わって読んでいただけると嬉しいです。





本の散歩道

私的マクロSF雑談

事務局次長 佐藤静江

 素人が書くSFなど雑学である。だが、本を読んだではと言うと まとめて書けるのはこんな所しかない。お許しを・・・
 読んだ本の大半は、不思議であるとか、未知の世界だとか歴史物も想像が半分以上のような好奇心旺盛の産物で、SFもその中の一つである。
 宇宙に関して高校生の頃か、近所のカメラ屋さんの店頭に貼ってあった1枚の大きなポスター「アンドロメダ大星雲」がすごい圧巻であった。
 その後、宇宙に興味が向いて宇宙学入門的な本を読んではみたが、私の能力・学力ではとうてい、追っつける訳もなくて、結局、凡人にとって壮大な宇宙はまたたく星の集まりで、音も伝わらず、一定の法則で動いていて人間は宇宙の一生が終わったときほんの数秒も登場するかどうかの存在でしかない・・・とあきらめた。 SFならなんとかなるか、と思い直して読み出したら結構面白くて,その頃周りにもファンがいて、いろんなお奨めもありそこそこ読んできたと言うところである。
 ファンタジックなものより、ハードものを好む。宇宙船でワープするような物、タイムストラベルなどのほうが多いが、近年は作風もかなり変わって来たように思える。単純な宇宙航法から(種が尽きたと言う人もいるが)バーチャルワールドでの活躍ものが増えた等多様性に富んできた感もある。それに映画のCGの進歩によりこれらがより鮮明に表現出来るようになったということもあるかもしれない。また、近頃のギクシャクしたストレス社会の逃避が反映してかハリーポッターなどの夢とか、空想的とかに人気があるようである。
 SFを読んでいて感じたことがふたつばかりある。ひとつに外国物SFでは神に対する考え方、信仰心が日本人より強いということがそこここに見受けられるということ、ロボット工学は日本が先端を行っているが、他の先進国が今ひとつという理由が生きる物は神が創造した物、という考え方に起因するという学者がいるが、うなずけないこともない。ふたつ目は大仰なことと取る向きもあろうが、人間が個々の利得に走り全体を考えなくなり、環境破壊の進行に歯止めがかからなくなったときSFはSFで終わり、近未来の生物の存在も疑問となるのではないか。SFが現実となってこそSFであり科学技術の進歩、人間の進化があると思えるのであるがいかがなものであろうか。
 科学雑誌に「ニュートン」というのがある。ずっと講読していたのだが近年ぱったり届かなくなった。替わりのようにそれ以来届くのが「おもいっきりテレビ」・・(わたしゃみのもんたのファンじゃないのに!)でもそれも納得できる。年齢からすれば本屋も私もその方が順当であるというものだ。
 それでもSFを含め夢や空想や未知の世界は私にとって身近な存在で あることに変わりはないであろう。へーんな年寄りがいて、宇宙船に 乗ってあっちこっちを飛び回る。ブラックホールを抜ければそこに 素晴らしい世界が広がることを夢見て・・・。





図書館より

 学生ホールに図書未返却の学生の名前が張り出されています。これは大変、恥ずかしいことです。つい、うっかりの場合がほとんどでしょうが、期限を守って必ず返却しましょう。また、モラルの低下が目立ちます。書き込み、アンダーラインは厳禁です。みんなの知的財産ですから、大切に利用してください。
 皆さん方が何気なく、手にしている本。そこには、著者たちの研究の成果や想いが詰まり、血をふりしぼるような努力の末に書き上げられているのです。
 大事に扱い、大いに活用し、知識や情報を獲得していってください。





目指すは『知の共有』なり


国文科教授 二戸麻砂彦

 日常的に使用していると、当たり前で省みないことはたくさんあります。その一つ、図書館の役割について、ふと考えてみました。おそらく、図書館の目指すところは『知の共有』であり、それを実現するために「情報の蓄積と保存」と「情報の検索」という二点の整備が求められます。そして、これらを具体化する方法として「書物」が作られ、必要な項目を搭載した「検索カード」を整備してきました。しかし、ここ十年の間に、その方法が変わりつつあります。

「情報の蓄積と保存」 書物→デジタル・アーカイブ
「情報の検索」 検索カード→情報検索端末

 前号巻頭言において「はるかなり デジタル・アーカイブ」という一文を書きました。これは「情報の蓄積と保存」の方法が劇的に変化しようとしている現状を簡単に述べたものです。文字言語を記録する媒体としては紙が大きな役割を果たしてきましたが、近年その記録密度と精度を大幅に高めたデジタル処理の技術が確立してきたのです。情報量の増大とダウンサイジングに対応するため、中心的な媒体が刻々変わりつつあります。磁気媒体(フロッピー・ハードディスクなど)や光媒体(CD・DVDなど)と多様に併存する現状です。
 この状況を反映するように、図書館における検索のあり方も多様になってきました。従来からの検索カードも健在ではありますが、その設置場所や管理の問題から、書籍情報をデジタル化したうえで、構築したネットワーク上に配し、情報端末による検索を普及させつつあります。しかも、各図書館それぞれの書籍情報をインターネットなどを通じて公開すれば、時間や場所を問わず、その検索を可能にすることとなりました。図書館ばかりではなく、各研究機関や個人も含めて、多彩な情報の蓄積と検索を可能にしています。格段に利便性の向上がはかられました。その一端を紹介しましょう。

山口大学にある「万葉集検索関連コーナー」は、万葉集の検索として群を抜いているサイトがあります。万葉集検索・万葉集検索データベース形式・万葉集外字とその解説などを用意しており、複合検索や出力結果の調整を含む多様な検索を実現しています。いわゆる検索エンジンが有効に構築されている一例といえます。試しに、訓読「あしひき」歌番号4481の情報を入力してみます。

検索ボタンを押すと以下の結果が得られました。必要な条件を満たし、精度の高い検索を実現しています。これは、複数の研究者が中心となって、基礎入力から二十年あまりを費やし整備されてきた成果といえます。現在、ネットワーク上には多種多様な検索システムが試みられていますが、必ずしも成功している例が多いとはいえません。営々と築かれてきた書物による情報を有効に利用しつつ、デジタル・アーカイブへの変換を進め、その検索についても目的の明確な方法を模索して行かねばならないでしょう。

(http://yoshi01.kokugo.edu.yamaguchi-u.ac.jp/manyou/manyou.html)





図書館情報システム

一般教育科助教授・ 図書委員情報システム担当 八代一浩

 古くから図書館は研究を行う上で大変重要な役割を担ってきました。 先人の知識を学び、自ら考え、そしてそれを人に伝えるという形で 現代社会が形成されてきています。その中で、図書館は書籍という 媒体を使って、知識(情報とも言いかえられる)を蓄え、それを人に 伝えるという機能を持っていました。
 一方で、書籍のような紙だけでなく、CDやDVDに代表される新しい媒体も情報を伝えるために利用されるようになりました。さらに、インターネットの普及に伴い、ホームページを利用した情報伝達も一般的になってきました。このように、新しい媒体の誕生により、図書館は書籍ばかりでなく、新しい媒体も扱うように変化してきています。
 山梨県立女子短大の図書館においても、平成10年度から、インターネットを利用できる環境が整いました。平成15年度までに、端末数は当初の2台から、現在、約20台にまで増えています。また、自分のPCを持ってくると利用ができるように情報コンセントも数多く整えてあります。
 来年度は、これらの端末に加えてCDやDVDなども閲覧できるような端末を整備することも企画されています。また、新聞社などのデータベースを利用し、研究調査が行えるような準備もされています。
 新しい時代にふさわしい図書館となるよう努力していきますので、 今後に期待してください。





編集後記

図書館は宝の山です。繰り返し、図書館に足を運び、自分の宝物を発見してくださいネ!
最後に原稿をお寄せ頂いた皆様、ありがとうございました。




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最終更新日 05/5/2
制作 山梨県立大学(文責:図書館)
Yamanashi Prefectural University