21財団<産業情報山梨>誌7月号巻頭言原稿

 『国際化という言葉』

 

 国際化という言葉が流行ったのはいつのことでしょうか.近ごろあまり耳にしません.やはりバブルの頃だったのでしょうか.バブル好況で人手が足りず、円高で途上国からの低賃金労働者を雇用して急場をしのいでいた頃、行政機関で盛んにこの言葉が語られたように記憶しています.
 戦後の日本は、外交・防衛などはいうに及ばず教育・技術・産業等々,アメリカを師と仰ぎ、追従してきた50年でした.そして気がついてみたら、外交・防衛を筆頭にアメリカ的でないものなど何もないという状態になっています.そういう中で、ひとり気を吐いてきたのが大蔵省や日銀の円の発行と為替管理、加えて文部省の学校管理ぐらいのものです.その大蔵省や日銀も,ジャーナリズムによって今や倫理が問われる二流官庁に格下げされてしまいました.そして日本は空前絶後のデフレーションの真っ只中です.
 そういう時代背景の中で,アメリカの対日赤字は膨らみつづけ太平洋を挟んで一触即発の事態になっています.蜜月の日米関係のうち,「不況→円安→対米黒字増大」という連鎖だけが喉に刺さった一本の刺のようです.
 一見難問のようですが、これを一晩で解決する方法があります.それは,この国がハワイに次ぐ第51番目の州になることです.人種差別と言語が不安ですが,それを除けばこれでダウ平均9,000ドルのアメリカの好況を享受でき,貿易不均衡は原理として消滅します.
 「冗談じゃない,日本文化をどうしてくれるんだ?」と怒気をはらんだ声が聞えてきます.しかし,そういう声には、「日本文化って何処にあるのですか?」と尋ねたくなります.文化も創らず,バブルに狂奔し,アメリカ一辺倒で国際化などと叫ぶ軽薄さがこの不況の遠因です.国際化は,世界に向かって「自律・分散・協調」の独立自尊からしか生まれないのですから,言葉をしっかり定義してかからなくてはなりません.特に国と言わず地方といわず、行政機関には特にそのことを望みます.

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