(社)山梨県建設業協会『CCC1996年6月号』1996年6月10日

 情報化社会の中の建設業 

山梨大学教授・情報処理センター長

伊 藤  洋


一昔は二週間

 大手通信会社に勤務する友人から、「十年を一昔と言ったのは昔のことだけど、今じゃ一昔は何年だと思うかね?」とやぶからぼうに尋ねられました。「さて…?」と怯んでいると、彼は「二週間だよ!二週間。十四日を一昔というんだよ」とたたみ込んできました。二週間を一昔というのは少しオーバーな気もしますが、二ヶ月なら同意してもよさそうに思います。さよう情報通信の世界に限ってはまさに疾風怒濤、激変の時代を迎えています。二ヶ月前に買ったパソコンが店頭からすっかり消え、それよりずっと高性能な機種が並んでいる、しかも価格はずっと安い、そんなことは日常茶飯事です。コスト・パフォーマンスが三年で二倍になる、これがこの世界の常識です。インターネットの加入者は八千万人、一ヶ月に百万人ずつ増加し、ネットワークのトラフィック量は年率三割の増加を示します。 治山・治水に道路・鉄道をさしてインフラストラクチャと言っていたのも十年一昔時代のこと、現在ではインターネットやLAN・WANにCALSがインフラと言われる時代になりました。文字どおり、十年一昔時代のインフラ産業=建設業にとって情報化という社会環境は生存に適でしょうか?、不適でしょうか?

エンクロージャ

 十八世紀英国。産業革命が起こり工業社会が始まりました。それに伴ってそれまで自給自足していた中世的社会が一挙に分業的社会に変化していきます。分業化経済のフローの中で様々な集団が結成されました。そういう動きを「囲い込み(エンクロージャ)」と言います。地主・資本家・労働者が、無数に発生する社会的組織体系の中に次々と「囲い込まれ」ていきます。その囲い込みの中に入れず、中世的な自給自足経済に止まった人々には工業化社会の恩典が与えられることはついにありませんでした。

 いま、その工業化社会が終焉を迎え情報化社会が到来しました。情報化社会はすぐれてネットワーク社会であり、ネットワークは究極の「囲い込み」に他なりません。しかもこのネットワークはインターネットに象徴されるように世界大のエンクロージャです。ここから排除されることが、死を意味しなくとも遮蔽された狭い世界で生きていくことを意味します。だから今目前の選択は、ネットワークを自ら仕切って他を囲い込むか、他者のネットワークに参入して共生するか、あるはその外に止まるか、三つに一つです。

インターネット

 インターネットは、企業や個人が持っているローカルネットワーク(一台のパソコンでも構いません)と世界中の不特定多数のネットワーク間を結び付ける仕組です。自分のネットワークと不特定多数の他人のネットワークを結び付けるにはコンピュータ間の情報の授受について外交文書を取り交わし、どういう言語を使うか取り決めておかなくてはなりません。この外交文書を「プロトコル」と言い、インターネットではTCP/IPという名前のプロトコルを使います。つまり、TCP/IPを通信用プロトコルとして採用さえすればインターネットに原理として接続できます。TCP/IPは最近のコンピュータでは必ず組み込まれていますから、改めて用意する必要もありません。

 実際、インターネットに参入するには様々な方法がありますが、簡単に試みてみようという方には、近くのプロバイダー(接続業者)のところへ行って手続きをとります。また、コンピュータを電話線につないでオンライン加入する方法もあります。しかし、業者の選択は当たり外れ?もありますので注意が必要です。大学などで専門家の意見を聞くのが賢いやり方かもしれません。お金をかけずに広大なインターネットの海でネットサーフィンを体験してみたい方には、公共機関でインターネットを開設している組織に電話回線を通じて接続する方法もあります。山梨県は他府県に比べてインターネット先進県です。「案ずるは生むに易し」、インターネットはいたって簡単に参加できますのでご心配は無用です。

シームレスな情報世界

 インターネットに象徴されるように、情報化の波は国境や海山川もものかわ、天下御免と何処へでもシームレスに伝播していきます。大規模な構造計算を国内外を問わず専門のスーパーコンピュータに接続してあたかも自分のコンピュータのように使うことができます。工事の進捗状況に合わせて資材の納入や発注をネットワーク上で指示し、ジャストインタイムに作業を進めることもたやすくできます。金銭の支払いもネットワーク上で決済しようと思えば可能です。こういう一連のパッケージをシステム的に構築しているのがCALSです。貿易摩擦に最も無縁だった建設業にとってネットワークは果たして黒船なのでしょうか。敵か、味方か、何れにしろシームレスな海の向こうにいる人影を強烈に意識する時代に入っていることだけは確かなようです。