(財団法人ニューメディア開発協会『めでぃあ』1990年10月10日)

『急がば回れ』

山梨大学教授 伊 藤  洋


 戦後の復興が軌道に乗り出した1950年代から60年代にかけて,全国各地で新生活運動なるものが強力に推進された.旧来の弊習である冠婚葬祭をもっと簡素化して,近代化のためのストックを作り出そうというのがこの運動の目的であったように思われる.しかし,これが葬式で云えば,花輪を門前に飾らないという申し合わせに対抗して生花を家の中に所せましと飾ることになったというような按配で,一向に運動の成果は上がらなかったのである.この時代,人々にとって葬式は,故人と世間に対する最高のプレゼンテイションであったからに他ならない.いま,新興住宅地に住んでみると,実に素っ気無い葬式が行われているのを見ることができる.かつての常識であった葬儀の作法を知らない者達ばかりが集まって,ニュータウンを構成しているから,自然に達成された新生活スタイルになっているのである.事ほど左様,時代が新しくなるのは,人々が新しい事を学んで,新しい考え方に変わるからでは断じてない.古い時代の事どもを知悉している人々が死に絶えて,新しいことしか知らない人々だけが生き残ったとき,時代は変わるのである.

 ニューメディアが喧伝されて何年になるか,言葉の普及は十分だが,これがなかなか難物で,ことの本質が思うように理解されてはいない.地方では,残念ながら役人や政治家など地域のリーダー階層にこの感が深い.だから,これを行政施策に取り込むとき思わぬ破綻を招いたりする.彼らが地域リーダーの座を去って,新しい人たちが代わって台頭してくるようになれば,ニューメディアの普及には黙っていても拍車がかかることだろう.

 「急がば回れ」,ニューメディアの普及の為には,次代に生きる青少年達にニューメディアリタラシー教育を施すのが一番の早道である.ニューメディア普及の運動は,次の時代を作る息の長いながい運動なのだから.


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