朝日新聞『論壇』(1980.11.28) 

「国鉄ローカル線は再生可能」

車両を小型にして自動制御の導入を

伊 藤  洋


 国鉄再建論議に関連して,ローカル線廃止の世論づくりが行われている.膨大な赤字を持つ国鉄の問題を国民に訴え,その解決策を見つけていくこと自体は有益なことであるが,そこに展開されている議論を見ると,本来社会政策,経済政策および技術政策であるべき問題が単なる政治論議に変質してしまっているように思われる.

 現在,全国どこでもローカル線と並行して走っている道路上では,全くの私的交通機関たる一人乗りマイカーがひしめき合って渋滞を繰り返している..そこでは一台あたり一ヶ月におよそ1000キロワット時ものエネルギーを消費しているのが実状である.これによって通勤者個人の経済は著しく圧迫されているが,このように膨大なエネルギー省費を伴い,かつ危険なマイカー通勤者を,ローカル線の利用者として再び呼び戻すことは,国家的規模でのエネルギー政策としても急務ではなかろうか.

このようなときに,ローカル線を廃止しようとするのは,時代に逆行するものであり,それによって同時に,主要幹線の機能もまた減殺されるのである.私はローカル線がエネルギー節約型で,多様な生活上のニーズにも対応でき,地方における基幹的公共交通機関として十分再生可能であるとの立場から,以下試案を試みたい.

 そのためにはまず,現在の国鉄の車両構造,運行システム,サービスのあり方などを根本的に検討し直さなければならない.現在の国鉄の車両構造の歴史的推移を見ると,一貫して巨大化の方向にあったことがわかる.これは当初幹線を走行する目的で大量輸送機関として発達してきた経緯によっている.しかるに,歴史的は幹線より遅れて敷設された,より小規模な輸送機関のローカル線に何の検討も加えず,幹線で使用した中古車両をそのまま適用したところに問題がある.

 こうして一般にカーブの多い線路上を,巨体をくねらせて走るローカル列車は,スピードが遅く,時代遅れの車体で乗り心地も悪い.加えて運転間隔が長いために時間的制約が強く,利用者にとっては魅力に乏しい交通機関となった.他方経営者側からみると,沿線人口の減少につれて乗車率が低下し,保守費用がかさむ不経済な交通機関となってしまったのである.

 そこで単純な規格化を廃し,必要な輸送量の規模に応じて,車体をたとえばマイクロバスなみの大きさに思いきって縮小し,大幅な軽量化を図って,走行安定性を増す.そしてその運行は,コンピュータ制御を含めて,無人化または非専門技能化することが考えられなければならない.それによって,実際に必要とする運行システムを作り上げることがすらでき,多様な時間的要請に完全に対応できるのである.決められたレール上を走り,全走行区間の短いローカル線の車両こそ,計算機技術によってよく制御可能であり,現在のエレクトロニクスによって十分実現可能な技術なのである.

 また現有の労働者数ですら十分の運行回数と,きめ細かなサービス・輸送力が確保できるであろう.こうして利用者にとって何時でも乗れ,必ず座れ,スピードが速く,また経営者にとっても乗車率が高く効率的で,安全な魅力あるローカル線をつくり上げることが可能となる.要は規格化された,観念的な現行システムに固執する限り,再生の道はないことを知らなければならない.

 そこで,まず手始めに,現在のローカル線の中からいくつかをモデル線として選び,社会学者,システムエンジニア,沿線住民等々を広く結集して,現行システムとも十分両立しうるようなシステムを試作し,早急に運行実験を開始する必要があると思う.

 産業形態の著しい変化は,今までのような人口の過度な都市集中による通勤者・物資の長距離輸送によるエネルギー浪費を減少させながら,職住接近形態へと移行し,人口の分散化が急速なテンポで進んでいくと予測される.そのような時代に,ローカル線の使命は,建設以来初めて人々の生活になくてはならないものとなり,廃止どころか質・量ともにより充実させなければならない方向にあると思われるのである.(山梨大学教授・電気工学)


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