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2002年01月06日
大学改革 勉強する学生生む試みを

 山梨大学工学部(学生数約2700人)は、先ごろ、単位取得数が水準より大幅に少ない学生104人に退学を「勧告」した。大学審議会は98年、「厳格な成績評価の実施」を提唱しているが、ここまで徹底した方針は珍しく、注目に値する。

 日本の大学生は、世界でもまれなほど勉強しないと、よくいわれる。欧米に比して、初等中等教育は健闘しているものの、高等教育が弱いという評価が定着して久しい。近年の学力低下論争で、その点を危惧(きぐ)する声は一層高まった。学力低下の実相、その背景と原因については諸説ある。ただ全般に大学が高等教育・学術研究の場として機能していないことは、認めざるをえないように思われる。

 問題は、大学で何をしたいかという意識が希薄なまま、大学に入ること自体を目的としている学生が多いことだろう。大学は、「いい会社」に就職するためのステップであり、「いい大学」に入りさえすれば、未来は約束されたも同然だから、勉強は合格時点で打ち止めにし、後は大学生活を楽しむという構図だ。諸外国に比べて単位認定が甘く、卒業率が著しく高いという日本の大学の「伝統」がそれを可能にしている。

 この大学の空洞化に対抗するには、大学の入り口と出口において大胆な改革を加えていくことが必要だ。山梨大の試みは、出口管理の方をしっかりしていこうということだろう。各学年終了時などに一応の目安とする単位数に満たない学生に、退学を勧告する。ただし、1年以上社会に出た後、退学時の学年に復学することが可能で、取得済みの単位は、そのまま認めるのだという。

 安易に学生を退学させることは好ましいことではない。しかし今回の措置の目的は、退学そのものではなく、学生と大学の質の維持ととらえるべきだろう。少子化、国際化などにより、大学間の競争は、これから一層激しくなる。何でもありのバブル期の甘えは、通用しない。特色を打ち出し、質を高める努力をしなければ、大学の存在自体が危うくなる。

 大学・教官側には、従来以上に学生の教育に真剣に取り組む覚悟が求められる。山梨大学が復学に道を開くシステムにしたのは、学生に再挑戦のチャンスを与える意味でも、教官側の覚悟を示すうえでも、望ましいことだ。

 大学審答申は、「勉強しなくても安易に卒業を認めている現状」を指摘し、「厳格な成績評価による卒業生の質の確保」を求めた。以後、その方向での取り組みが進み、答申が厳格な評価の一例として示した「GPA(グレード・ポイント・アベレージ)制度」を採る大学が増えている。単位当たりの平均点を超えれば卒業させるという米国の大学で一般的な評価方法だが、これも有効だろう。

 ただ根本的には、入口である入試や初中教育の改革が不可欠だ。入試合格を最終目標とし、入試に出ることだけを効率的に勉強していく教育システムの転換に、引き続き取り組まなければならない。

(毎日新聞 01-05-23:30)


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