1991年度総合科目

『技術の陥穽』

先端医療技術を例として


東京大学教授 渥美和彦

コロラド州知事 リチャード・ラム


§1.はじめに

 いま、冬の真っ盛り。落葉樹は葉を落とし、この寒さの遠のく春をじっと待っています。学内の樹木達も、もとより例外ではありません。この時期ともなればすっかり葉を落とし、樹間を通り抜ける寒風に雄々しく耐えています。凍てつく冬の青空を背景に、高くそびえる木々の梢はこういう季節にあっても、確実に巡り来る春を予感させて、私たちに希望とやすらぎとを与えてくれます。

 ところが、そういう中にあって、とっくに落とすべき枯れ葉を付けたままむなしく季節風に揺らいでいる樹木もあります。こういう木や枝は、夏のうちにあえなく枯死したものです。健康な木なら、秋になって気温が降下したのを機に葉を落とします。これは来年の葉目の成長の為に落葉することが必要だからに他なりません。しかし、夏の暑さに耐えられず枯死した枝や木の葉は、季節が巡ってももはやあの活性な緑を再現することは叶いません。ただいたずらに時間の経過のなかで醜く朽ち果てるだけでしょう。

 「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。‥‥」。

 これは南北朝時代の文化人・卜部兼好の『徒然草』の中の有名な一節です。無情観を絶対とし、生への執着を断ち切ることが「もののあはれ」を体得する要諦だとする兼好の美意識がここから見て取れます。兼好が生きた中世は、時あたかも鎌倉幕府が崩壊し、いまだ新しい権力体系は生まれぬ、正に生と死のはざまの戦乱の時代でありました。戦乱は権力者の思いつきのままに起こり、家は焼かれ、ぐれんの炎のなかを人々は為す術もなく逃げ惑い、死に惑っていきます。運よくここで死を免れても、時折何処からともなくやってくる「はやりやまい」は人に取り憑く悪霊であり、有りと在る悪霊が人々を奈落の底に導いて放しません。人生は僅かに40年、これを一期に、「鳥部山」の煙となり、「あだし野」の露と消えていきました。だから兼好はこのすぐ後に、

 「住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十(ヨソジ) に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」

と説いています。

 こういう古い時代には生は不条理であり、死こそがまごうかたなき真実でありました。それゆえ人々は、西方にあるという阿弥陀如来の支配するユートピア・浄土を欣求(ゴング) し、そこに永遠の生を求めました。紫雲のたち篭める中、阿弥陀仏の来迎(ライゴウ)を受け、悠然として入寂した源信僧都の死体からは、えも言われぬ芳香が立ち昇ったと語り継がれています。源信の故事は中世の人々を魅惑し、一層極楽の存在を確信させました。だからこの時代の人々の肉体は、死んでも悪臭を放つことは決してありませんでした。

 しかし、時代が移り、近代になると人々の肉体は死後に腐敗し、悪臭を放つようになります。ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』では、末の弟アリョーシャが慕う長老・ゾシマの死体が予期に反して数日の後に死臭を放ち、人々を恐れさせるシーンがあります。あのように19世紀になりますと、もう人々が涅槃の機会に恵まれることは無くなります。それなのにその時代の医療は、まだ原始のそれと大差はありませんでした。動脈の赤と、静脈の青を表す理髪店の看板は、理容士がその昔外科医であったことを証拠づけています。かのナポレオンの侍医ケネーは、今では古典経済学の創始者として有名ですが、本当の職業は理容士であり、社会的には決して高い身分の人であったということはできません。医療行為は床屋が担当していた時代、そして医者は床屋よりも低い身分であった、それが19世紀初頭までの医療の状況であったのです。

 さて、時は巡り、人は代わり、いま私達を取り巻く世界は、科学の恩沢に囲まれる科学万能の時代です。医療は医学という《科学》に裏付けられて「進歩・発展」を続けます。平均寿命は80年の大台を越えました。人生僅かに40年であった時代から見て、死は倍の時間距離だけ遠い世界に後退しました。悪霊であった伝染病は絶えて無く、難病はつぎつぎと克服されていきました。だから西方浄土を請い願わなくても、現世がそのまま極楽です。それなのに、人々はより激しく健康を願い、死を一層恐怖します。死後の霊魂は冬空に震える枯死した樹木の枯葉のように、いつまでも未練にすがりついてこの世に迷い続けます。

 こうして実現した高齢化社会とは、皮肉にも人々が病と死の恐怖に長期に亙って曝される社会、とさえ定義できそうです。かくて、人々の恐怖を原動力としながら医療従事者、わけても医師の社会的地位は上昇し、これと連動して国民医療費は増えつづけ、今世紀末には50兆円の大台を越えると予想されています。一体全体これはどうした目算違いなのでしょうか。ここでは、これからの医療の在るべき姿を摸索しながら、科学技術の思わぬ落し穴を覗いてみたいと思います。


§2.本論

 §§2.1医は科学であるということ

 医療は、その基礎を医学・生理学等に負っています。これらの学問は今では「科学」だと言われています。フローベルの『ボバァーリー婦人』エンマの夫・ボバァーリーのあの頼り無さに比べて現代の医師の頼り甲斐は比較になりません。それは現代の医師が科学に裏打ちされた優れた技術を擁しているからに他なりません。それでは科学とは何で、医学が科学であることから出てくる結論は何であるか、後の話の為に必要ですから初めにそこから考えていきましょう。

 科学とは、誤解を恐れずに思い切って簡略に言えば、それは「分節」ということに他なりません。分節とはあるものの中を、あることと、別のこととに仕分けることです。

 いま、真空中で鳥の羽を落とします。同時に一塊の鉄の玉をも落としてみましょう。よく知られているように両者は一緒に落ちていきます。これは鳥の羽にも、鉄の塊にも等しく地球の引力が作用するからに他なりません。しかし、私達が子供のときには、きっと鳥の羽より鉄の玉の方が先に落ちるだろうと思っていました。それは、日常体験する空気中で起こる現象では、羽の方がふわふわとゆっくり落ちるからです。昔の人々もそう思っていました。今から、250年くらい前の時代の人々です。

 その頃の人々は、こういう物体の運動は、神様がこれら物体の運動の仕方について時々刻々命令し、支配しておりそれにのっとって物体は運動するものと考えていたのです。だから、鳥の羽の落ち方によって神の意志を聞く呪術が可能でありました。そういう訳ですから、木々の葉が落ちたり、天空から雨や雪が降ってきたりするとき、その葉っぱの一枚いちまい、雪片の一つひとつは全て神の意志によって様々に地上に到達すると考えられていました。だから、神様は毎日まいにち、休む暇も無く、地球上で起こる森羅万象を支配しなければならず、大変忙しい生活を送っておりました。そしてこういう考え方は現代でもアラブ社会のようなイスラーム文化圏では信じられています。これをアラブ・アトミズムなどと言うことがあります。

 しかし、ガリレオやニュートンによって、落体の運動は地球の引力によって起こり、このときの運動は時間の2乗に比例して距離をとる運動であり、木の葉や雪片が一見想いおもいに降ってくるように見えるのは、空気の摩擦や風の流れのためであって、条件が同一なら常に同一の運動をするのだ、と説明されますと、そこには神の介在が無くてもよく、神はそれまでの多忙な生活から解放されることになりました。そこで、ニュートンは、神は、落体の運動が時間の2乗に比例して距離を増すような運動にしようということを、宇宙創造の時に決めていたのであって、謂わば自分の発見した力学法則は神の意志を知ることであったと、説明しました。こうして、木の葉の一枚いちまいに宿っていた神の業は、過去のある時に決められた法則の中に込められているのであって、今のいま神は私達の身辺に近く居るのではないことになりました。これが17世紀を代表する「科学」であることは、皆さんが学校で理科の時間に教わってよくご存じでしょう。このように神の意志による運動という考え方を、「分節」して、「法則」化することが「科学」でありました。神という形而上と「物理」という形而下のことを「分ける」ところから近代は出発したのです。

 こうして、神は今のいま、しかも私達の身辺近く居るのではなく、天の高いところで宇宙全体を監視していることになりました。そこから私達一人ひとりを守り、寿命を決め、時として試練を課したりしているのだと、考えられるようになりました。それでも、この時代までの「科学」は、創世紀における神の意志を読みとる行為であって、神の実在が怪しまれるというようなことは未だありませんでした。

 ところが20世紀に入りますと、アイシュタインによって相対性原理という「科学」が発見され、ニュートンやガリレオにおいては絶対的であった時間や空間の寸法が、実はそうではなく相対的なものであるということになりました。相対論に従えば、例えば、相互に運動している者同士では、時計の進み方が違うし、住んでいる空間の長さも異なるというのです。だから、ある人にとって同時に起こっているような現象も、その人と違う速度で動いている別人からみると、これが同時ではなくなります。また、ある人にとって1メートルの長さも、別に動いている人から見れば縮まって見えるのです。つまり、見る人の物理的な立場によって、物事が別のものに見えてくるという訳です。

 ところで、西洋では神は一人しかいません。それゆえ相対論の立場からすれば、唯一の神は、唯一ゆえに自身の物理的立場以外の異なる世界を見るときには、自身が見た状況とは本当は異なる真実を見たり感じたりしている筈です。異次元の世界は神といえども、その本当の姿を直に見ることはできなくなりました。こうして神が、宇宙の森羅万象を支配することは論理的にできないことが分かりました。まことに「科学」は神と事象の「分節」に明け暮れてきたのです。こういう科学史の進行を「聖俗分離」とか「聖俗革命」と呼んだりしています。

 神を一応棚上げすることに成功?した科学は、今度は自らを「分けて」いきます。その結果、物理学、化学、生物学、数学、天文学、‥‥というような専門性の分化は勿論のこと、物理学の中も、熱力学、統計力学、解析力学、電磁気学、光学、量子力学、‥‥というように分節され、またその中も‥‥というような按配で、より先端的分化を続けるようになりました。

 このように、一つの同じものであると思われていたことを、AとBとに「分節」し、Aの中をA’とA”とに「分節」し、Bの中をB’とB”とに「分節」し、A’を‥‥というように分節し続けることによって、科学は精密化し、精度を高め、信頼度を高めていきました。医学は科学でありますから、基本的に科学の手法である「分節」はここでも同一です。あるときまでは同一の病気だと思われていたものが、異なる二つの病気に分類され、それぞれに適合する処置をすることによって病気が治療されます。しかし、それも新しい分析手法が確立されますと、同じものとして分類されていた病名が分けられて、より適切な処置を要求するように変わります。こういう分節の過程は、科学史を調べてみますと一直線に進んだことではなく、試行錯誤している事実もあるにはあるのですが、長い時間のスパンで見ますと、ほぼ直線的に進んできたと言って差し支えはありません。家庭医学書の厚さを編年順に追っていきますと、年次をおってどんどん厚くなっていくのが分かります。公害など生存環境の変化によって人為的に増えた病気もあるでしょうが、その多くは「分節」による増加です。

 こうして、一見健康な人も、精密な病理学的診断によれば、多数の病名をもらえることになります。NHKの大型ドラマ「独眼流政宗」の中で、津川雅彦演ずる徳川家康が死を前にして「わしは鯛の天婦羅を食べたので、毒にあたって死ぬことになった」と、伊達政宗に述懐するシーンがありました。家康の死因は「腹中の塊」によるとされ、これは現代流に言えば「癌」です。しかし、当時癌という病気は人の認識に有りませんから、家康は「癌」で死んだことにはなりません。今では、癌どころかちょっとした胃の不調も「慢性胃炎」であり、2、3日よく眠れなければ「不眠症」であり、大学の講義をサボる学生は「学生無気力症スチューテントアハシー 」という病名を頂戴致します。まことに現代、人間は医学的に診れば病気の塊であり、病みながら生きている動物ということになりました。

§§2.2 医療技術革新

 このように医学が「科学」である成果として、病気や疾病の種類や原因が多種・多様に解明され、理解されるようになりました。医師養成の教育に長年月を要し、能力的にも経済的にも一人前の医師になるまでの経過が一朝一夕にはいかなくなりました。そのため、医療従事者の持つ専門的知識は、病人の痛みや病状の自覚を越えて精密かつ膨大になり、医療活動は、少なくとも医者の仕事に関しては、法律家や政治家と並ぶ知的活動であり、エキスパートとしての知的データベースに比較し得るものとなりました。だから、素人の遠く及ばぬ職業として医業は人々の尊敬と威怖を誘います。しかも、現代医学が医学の頂点に達しているのではありませんから、この後、もっともっと医学は「進歩」して、病名も多くなり、その診断方法や治療方法も複雑になります。

 ところで、「科学」の科学たる所以は、そこに普遍性が有る、ということがあります。医学が「科学」である成果として、他の諸科学、とりわけ理学や工学・技術の成果を取り込めるようになります。その結果、医学はいよいよ進歩し発展していきます。近年の、X線や各種のアイソトープ核種を用いたコンピュータトモグラフィ(CT)、核磁気共鳴(NMR)などを用いた診断装置、画像処理技術を駆使した超音波診断装置、等々のメディカルエレクトロニクス、電子顕微鏡やX線マイクロアナライザ、各種クロマトグラフィなどの分析技術の脅威的技術革新、あるいはDNA、RNAなどアミノ酸分子に関する分子生物学の成果としてのバイオメディカルなどはこのことを能く裏書きしています。しかも、これら先端医学・医療技術は、これが緒についたばかりであって、コンピュータ技術や素材技術、あるいは分子生物学的成果がより精力的に導入されれば、今後、この分野は飛躍的に革新されていく状況にあります。

 ここで、技術革新 という言葉を使いましたが、これについて考えてみましょう。もともと、技術革新というのは、製品やサービスの生産・流通に使われる言葉です。通常、産業における技術革新とは、製品の生産におけるコストの低下の為に要求されるものであり、それは市場における価格競争力を付与するためになされるものです。したがって、産業革命以来一貫して、良くも悪くも技術革新の成果は、労働生産性を高め、製品の価格低下に寄与してきました。ところが、医療活動における技術革新は、そういう方向とは丁度逆の向きを辿り、技術革新が進めばすすむ程、コストを上昇させていくように作用します。

 その例として、ここで沖中記念成人病研究所の報告を見てみましょう。この報告は疾病についてその時々に適性な医療を施したとした場合に、1959年から1978年の20年間にどのように保健点数(1978 年値の点数換算) が変化したかを事例に基づいて分析したものです。

 まず脳卒中で倒れた人の場合です。1959年段階では髄液検査ぐらいしか行われていませんでしたが、1968年には脳血管の撮影ができるようになり、 次いで1978年になるとCTスキャナーが投入されて、診断点数は 159点(1959 年) から8、237 点(1978 年) と実に52倍になりました。もっとも治療点数は抗生物質やステロイドホルモンの投与がなされるようになった1968年以降さしたる変化もなくて、 結局診断と治療の両方の合計は1959年と78年では25、959点から49、018点へと約2倍の伸びになっています。

 もう一つの例を肺癌と診断されて、肺切除手術を受ける場合で見てみましょう。肺癌の検査は1959年から1978年迄では、 途中60年代に気管支ファイバスコープが出現して点数を320 点から 1、310点に高めた程度ですが、 他方、’59年時点ではクロラムフェニコールとかテトラサイクリンが使われているに過ぎなかったものが、’68年にビクシリン、’73年にゲンタマイシン、’78年にはトブラマイシンと矢継ぎ早やに抗生物質が現れてこの20年間に690 点から37、650点へと抗生物質だけで実に55倍に増え、トータルするとこの間47、839点から97、497点へと、これも約2倍に高まっています。このように、技術革新による医療サービスの向上は、これが医療現場では大きなコスト上昇につながっていくのです。

 このように、医療を除く産業における技術革新と、医療現場におけるそれとは結果において全く逆の効果を招来していくのです。現在、我が国の国民医療費は18兆3000億円ですが、これが21世紀には、最も低い予測値の厚生省の見通しでさえ51兆円になるであろうといわれる根拠は、実にこの医療技術革新の故なのです。

 少し余談になりますが、技術は一般にそれの善悪の基準によって進歩・発達するものではありません。それは、初めにその開発や研究に従事する人の個人的興味、あるいは個人的名声欲を原動力として出発します。そして、それが経済的価値を産むことが知られると広く普及し改善され、やがてそれが人口に膾炙して必需的技術として市民生活に関わるようになり、私達の価値観にまで浸透してきます。この一連の推移は善や悪の基準によってなされるのではないのです。核兵器の開発に要した金額は100兆円、しかしそれが実戦で使われたのは広島と長崎だけ、それなのにこういうものが必要だとする価値観を各国の国民が持つとき、精密な軍事技術は善悪の判断の埒外でどんどん進歩・発展を続けます。原子力発電、SDI、等々数え上げれば枚挙にいとまがありません。このように崇高と思われている科学や技術が人間社会で用いられるとき、思わぬ方向に向かうことがしばしばあるという現実は現代に生きる私達が能く考えて当たらなければならない事実なのです。医療における技術革新の影の部分としては、医療費問題だけではありません。医療を施す対象が、人間としての患者にではなく、病気や疾病そのものに及んでいくということがあります。今から30年前迄の、技術革新以前の医療では医師は聴診器一つで、患者からの聞き取りによって病状を判断していましたから、医師と患者は好むと好まざるとに拘わらずに相対して医療行為がなされました。だから、医師は自分の医療行為を効果的なものとする為にはインフォーマントとしての患者からの情報を大切にせざるを得ませんでした。しかし、現在の先端的検査技術からすれば、患者からの情報は素人の判断であり、医療行為の雑音になる可能性を持っていますから、これを尊重することには慎重でなければなりません。こうして、病気は直すが、病んでいる当の病人は直さずに、病気と人間とが分離されていくことになりました。

 こういう傾向の中で語られたのが冒頭に紹介した東大・渥美教授の発言です。素人が医学について語ることは、専門家にとって雑音であり、それに惑わされるのは「衆愚医療」だと、氏は言うのです。ところで専門家という病者がいるのでしょうか。

 医療における技術革新は、病気や疾病の診断や治療をより精密化していきます。その結果、専門性が著しく高度化して、分化が激しく行われるようになります。そのために、専門の違いによる言語の違いが現れるようになって、ちょっとした違いでも相互に理解することは叶わなくなってきます。これが、医療技術の分化をいよいよ押し進め、部分医療へと移っていきます。

 こういうことの典型的な例がアメリカのエズラ・ミーシャンという人の書物に紹介されています。ある中年の男性ですが指の関節炎にかかりましたので、医者に診てもらって錠剤を処方されました。これが実に能く効いて関節炎は全快しましたが、薬の副作用か、胃が悪くなってしまい、胃潰瘍ができました。そこで胃の専門医のところに行き、ここで診てもらったところ手術の必要があることが分かりました。そこで胃潰瘍の切除手術をしてもらいました。この時、抗生物質が投与され医潰瘍は完全に直ったのですが、今度は心臓が悪化し、心臓の専門医のところにかかりました。この時、先の抗生物質が強すぎたかして既に肺が悪化しており、胸部に炎症が見られましたが、とりあえず心臓の外科手術を施して急場を凌いだそうです。しかし、この男性は、この手術後2週間してあえなく息を引き取ったというのです。いま少し、もう少しと仏像の顔を修正している中に、大切な仏像の鼻を欠いてしまった仏師にも似ています。症状の対症療法にばかり目を取られている間に、患者が見えなくなる専門性の弊害がこの話にはよく現れています。

§§2.3 記号化の中での問題点

 世は挙げて情報化社会と言われています。情報化と言われますと、コンピュータやニューメディアといった情報・通信に関わる技術やシステムを思い描きがちです。もちろん、そういうものが社会を動かすハードウェアを形成してはいますが、これが情報化社会の情報化社会たる所以ではありません。

 情報化社会というのは、これも見方を変えて大胆に言えば、成熟化社会ということの別言に他なりません。成熟化社会とは社会を規定していた枠組み(paradigm) にそって目一杯にヒト、モノ、カネが充満して、それ以上の発展を画することが不可能になった社会のことです。

 こういう社会では、それまでの過去に存在していたモノが、本来の意味や意義を変えていきます。たとえば、乗用車というモノは、人を乗せて速く走る、あるいは人間には持ち運びできないような重いものを運ぶ、走るについて人間のようにくたびれたりしない運搬用機械のことでありました。だから、エンジンと車輪と雨露を凌ぐ屋根、贅沢を言えば夜間も走れるように電灯がついていればよいものでしょう。事実30年前までの乗用車はこの程度のものでありました。しかし、これが行き亙り、誰でも乗用車を持てるようになって、これをマイカーと呼ぶようになりますと、さすがにこういう基本性能だけでは誰も買ってはくれません。そこで、冷暖房を装備する、インテリアを豪華にする、ステレオを付ける、デザインをどんどん変更する‥‥というように今誰でも承知している車事情になりました。そして、人々は乗用車というものはそういうものだと確信して疑いません。

 これは、自動車産業の成熟化のなせるわざに他なりません。こういう成熟化の過程での著しい特徴は、モノの意味が激しく変質するということです。エスキモーにとっての毛皮は防寒の為の生命を守る必需品です。そして、我が国でも北国の人々がかって着ていた毛皮は同様の意味を持っていました。しかし、今日甲府の街で高価な毛皮を着ている婦人にとっての毛皮はそれらとは全く異なります。それは流行であり、流行であるがゆえに流行に敏感な自分を演出する衣装であり、またこれが高価であり、高価であるがゆえに高価な支出のできる高額所得の表現であり、それは美しく仕立てられおり、美しいゆえに美しい自分を見せびらかす為のパフォーマンスであります。毛皮の持つ防寒の根源的な意味は失われ、それはもっと多彩な心理学的、精神神経学的雑多な意味を新たに持つようになります。こういう新たに付与される意味を記号(semiotics) と呼ぶことにしましょう。すると情報化社会というのは、記号化社会、新たな意味の付与、または意味の変更を際限無く行う記号化社会のことであることに思い至ります。

 こういう情報化社会の中では情報弱者が作り出されます。情報弱者というのは、巷間言われるようにコンピュータやOA機器、ニューメディアシステムに不適応を起こす人々のことばかりではありません。それよりむしろ、変化してやまない記号の変化についていけない、あるいは記号を操作する能力に欠陥のある人々を指して言わなければなりません。こういう記号弱者がパラノイア病理を形成するのだと、ジャック=ラカンは彼の名著『精神病』の中で指摘しています。

 そういえば近年、精神病の分類が、クレッチマーの分類に適合しなくなったことがよく言われています。それは、この病気が本質的に記号操作のミスから生ずるものであることを考えればあながち合点のいかないことではありません。世は、経済恐慌や戦乱のない限りという限定つきではありますが、益々成熟化の度合いを深めていきます。それは益々記号化度合いを高めていくことでもあります。筆者はそのことが、文化生成の作業だと思っていますからこういう傾向をあながち悪いこととばかり考えませんが、しかしこれは反面、記号弱者をして心理的または精神的病理へと駆り立てて行きますから、こういう傾向は決して軽視できない社会的トレンドであり、今後大いに注目していかなければならない問題であると思っています。

 先にも述べたように、産業革命以降、社会は分節を基本原則としてきました。医療で言えば入院によって病めるものと健常なものとを分節してきましたし、学校は、教育以前に産業革命によって生じた工場労働者の足手まといになる少年・少女を預かる託児所がその起源でありました。同様に、身体障害者は健常者の動きについていけない邪魔者であり、精神病者は健常な社会を混乱させる不穏人物であり、犯罪者は社会の安寧を侵す悪魔でありました。そこで分離・分節を基本的制度として、それぞれ施設、精神病棟、監獄を作って隔離や遮蔽を施してきたのです。その結果、目的に反して分節された「健常者」社会の中で病理が発生し、学校では校内暴力やいじめが、社会では凶悪犯罪が、精神病棟では長期入院が恒常化してきました。そこへ、記号化社会がやってきたのですから、今後社会的不適応を起こす人々が増大するとして、事態は一層深刻の度を深めることでありましょう。

 医療にまつわる記号論的動向として心しなければならないもう一つの話題を紹介しておきましょう。現代と同様に昔から、病気は何でもかんでも忌み嫌われるべきものであった、とするのは早計です。今から30年前まで、不治の病と云えば結核でありました。結核は肺病と呼ばれ、戦後、ペニシリンやストレプトマイシンがアメリカから入ってくるまでは、これにかかると余程の幸運に恵まれない限り直ることはない恐ろしい病気でありました。したがって、肺病はひとびとに大いに恐れられた病でありました。それなのに、記号論的には正のイメージをも持っていました。徳富蘆花の「不帰如鳥(ホトトギス)」、堀辰雄の「風立ちぬ」、映画「月よりの使者」、‥‥何れも結核患者を主人公にした、愛と恋のドラマでありました。結核は、それにかかると肌が美しく透明になるといわれ、白樺の林に囲まれた高原のサナトリウムで、静かに死に行く運命はかげろうの一生にも似て、若い乙女のこころの琴線をゆさぶるロマンを持っていたのでした。言うまでもなく、これも病気であり決して善なるものではありません。それなのに、30年前迄、結核は若い女性にとって秘かに焦がれる愛や恋を表す記号でもあったのです。そう言えば、今から1世紀以前ですと、癲癇患者は神と対話のできる人として西洋では尊敬される人ですらありました。だから、文豪ドストエフスキーは癲癇患者でしたが、それを当人は誇りにして一生を送っています。その昔、病は神の啓示を聞くことであり、病者は神の言葉を伝える媒介者でありました。

 時は移って今、死亡率の最大の病気は悪性新生物・癌です。癌にまつわる記号はどうでしょうか。癌とくれば、「撲滅」であり、「制圧」であり、癌の患部の瀰漫(ビマン) は帝国主義的であり、むやみに軍事用語で譬えられます。社会の邪魔者のことを「癌」だと言い、事が成就しないのは、それを邪魔する「癌」があるからです。ことほど左様、「癌」は記号論的には徹底的に負の病に他なりません。先天性免疫不全症候群(AIDS= AquiredImmune Deficiency Syndrome )は、この世に忍び寄るもう一つの恐怖です。AIDS患者のジャパユキさんがいたとして有名をはせた長野県松本市では、その報道が行われた直後、市民の一部に他県のホテルから宿泊の予約を拒否されたという事件まであったと聞いています。AIDSの記号論的意味は今だまだ定まってはいないようですが、これが愛や恋の意味づけを頂戴し人々を魅了して、秘かに憧れる病になることはなさそうです。このように病気が負の記号であること、これが現代の文化記号論的特徴なのです。

§§2.4 高齢化社会ということ

 医術の発達と食糧事情の好転に伴って平均余命が増大してきました。もっとも識者によっては平均寿命の伸びは、下水道の整備や保健衛生の普及の寄与が殆どで、医療は大きな寄与をこれには与えていないとする人もいます。それはともかく、先進国・日本の平均余命は著しく長くなり、しかもその伸び率が急峻です。とりわけ、地元山梨県は、10年早い高齢化先進県と言われ、高齢化に伴う経済・社会・医療などが深刻な問題として論議されています。

確かに高齢化と医療費の高騰には正の相関関係があります。年齢階層別の有病率を、1981年現在として調べてみますと次の表のようになります。この有病率とは、人口1、000人当たり何らかの病気を持って医療機関にかかった人の数のことです。そして、65歳以上の人々の受療率は高々40%と低い(ちなみに15〜24歳の年齢階層の人達の受療率は98%と圧倒的に高い)にも関わらず、老人医療費の、国民医療費全体に占める比率は25%の高さになりますから、高齢化と国民医療費の増加とは大いに考えられるところです。

年齢階層 有病率

年 齢

千分率

5〜24歳

38.3

25〜54〃

152.8

55〜74〃

437.0

75歳以上

498.5

 しかし、この問題は社会全体で眺めてみますと、実はそう困ったことではありません。と言いますのは、確かに向こう30年に亙って我が国の老人人口比率は増え続けますが、このことは、他方0〜24才までの若年人口が減少していることを意味しています。昨年1990年中に生まれた赤ちゃんの数は 130万人と統計史上最低の値を示しています。ところで、国民支出ということからすれば、人々の生活を圧迫する家計支出というのには、現代では子弟の教育費等の養育費が最大を示しています。一人の子供の大学卒業までに要した養育費は2、000万円と言われています。高齢者が増えた分と見合うだけ子供の数が少なくなっていますから、これらを合わせた家計の支出はむしろ減少する方向にあります。したがって、高齢化問題と医療費の問題とは、国民総支出という観点から眺めてみれば大きな問題ではないのです。

 それよりも、若年人口が減って、高齢人口が増えることによる社会的鈍化が起こるとすればその方が深刻なのだということをここでは強調しておきたいと思います。その中でもとりわけ老人のアイデンティティの確保という、より根源的な人間の生の営みが重大な問題をはらんでいるのではないでしょうか。

 先に近代科学の特徴について触れましたが、加えて、近代科学とともに変化した人々の観念の変化の一つについて考えてみましょう。近代科学の発生とと共に人々は「進歩」という考え方を学びました。わけても、ダーウィンの進化論が紹介されてからは、それまでは万古不変と思われていた生物種までが時間とともに変化し、時代と共に高等生物に発展する「進歩」をなしている、ということを人々は衝撃とともに学びました。この進化論は、生物種に関する進化のみでなく、「社会進化論」のように人間社会の中にも進化というものがあることを実感させるように働きました。まことに19世紀は、進歩の思想を人々に教える世紀であったのです。

 ところが、進歩という正の評価の裏面に潜む負の面があります。進歩ということは、再び元に戻らない、一方的時間の進み行きを意味していますが、そうであるなら終わりは有るか否か分からないにもせよ、初めが有って、終わりの方向に向かって時間や歴史は進んでいくことを意味しています。それゆえ、人は一度死ねば再び地上に戻ることが不可能になります。

 東洋、とりわけインドの古代哲学では、時間は回転していて再帰(recurrent) 的なものであると考えています。だから、宇宙の森羅万象は限りなく古く、それゆえ逆に世界は何時も新しいとも考えられます。人は、7回どころか何回でも生まれかわることができます。これが輪廻であり、転生です。それゆえ後の世に再生するとき、輪廻によって今生の不幸を持ち越さないようにすること、これがいま生きてあることの意味だというのです。また、ゴータマ・ブッダは、輪廻を否定し、人の一生は「生病老死(ショウビョウロウシ)」の「四苦」からなる「一切皆苦」で満ちている。これから解放されるためには、「苦渋滅道」の「四諦(シタイ)」を体得することであり、そのためには、八つの正しい道「八正道(ハッショウドウ)」を選ぶことによってなされ、これによって「諸行無情」、「諸行無我」、「涅槃寂靜(ネハンジャクジョウ)」の「三法印(サンポウイン)」がえられ、こうして初めて人は、「正覚(ショウガク)」し、「涅槃(ネハン)」の世界に生まれ変われると説いています。

 しかし、私達は120年前近代を選び取ったときに、インド哲学ではなく、循環しない進歩の果てしなく起こる世界を容認したのでした。それ以来、人が生まれ変わることはできなくなり、為に「死んだらおしまい」の哲学に宗旨を変えました。その結果、人は死をことのほか恐れ忌むようになりました。

 高齢化社会の問題は他にもあります。先に、近代は分節・分化を基本形態としてきたことを述べましたが、この中には性に基づく分化という重大な事実があります。男と女とを分けてそれぞれに異なる役割を与えてきました。男女の分化は、勿論有史以来ありました。しかし、それはセックスの違いによる性差であるよりも、個人の持つ男性性や女性性という性差であったように思われます。ところが、近代の性差は、それが男女の性の違いによるが上に強制的に定めた性差であり、この点が近代以前のそれと著しく違います。

 言うまでもなく、元来、男と女とには、オスとメスという性的違いがあります。こういう差を性差と言います。ところが、性(sexuality) としての男女でなく、女性的な性とか、男性的性とかいう性差もあります。このような性差のことをジェンダー(gender)と言います。女性でも男性的な人がいますし、男性でも女性的な人はいくらでも居て、またそれが普通です。一人の人間は謂わば「男女両性具有」の状態にあるのが一般的です。男女の分節がしっかりしていない近代以前で言えば、そういう個人のジェンダーとしての性差が自然に認められていました。それは、生きている社会が生活の場そのものであって、生活の中での分担はセックスの違いによるよりもジェンダーの違いによってでき上がっていたからです。しかし、近代になって社会が地域共同体から、たとえば企業とか、学校とか、役所とか、つまり地域の外の組織体(ゲゼルシャフト)へと変わるにつれて、セックスの差としての性差が重要視されるように変わり、性の分化が生じてきました。こうして、男は企業人として生き、女は家庭人として生涯を送るようになりました。

 ところが、そこへ人生80年時代が到来し、退職後に30年の余命を残すようになりました。その30年は、家事や地域と隔絶され、男として肩書きを求めて激しく戦って生きた30年と同じ長さですが、残りの30年はその価値観の通用しない生活者そのものの年月です。そこは、セックスとしての差ではなくジェンダーとしての性差や能力がものをいう生活の場です。しかし、男達は(時として女達も)その為の訓練は全く受けてはいません。だから、退職して社会的肩書きを失ったとき、生活面で何物をも所有していないことに気づくのです。失われたアイデンティティの下で、もぬけのようにして生きる余命、これもまた高齢化社会における最大の問題点の一つに他なりません。老人病棟の看護婦さんが男性老人の入院患者をお世話していて扱い憎いのは、かつて社会的地位の高かった人であるとういうことをよく耳にします。彼らは、オスとしての男性社会の勝利者であり、徹底的に自らの女性性を抜き取ることに成功した純粋培養の男であり、反面、地域に生きる生活者として全くの落後者に他なりません。

 このことは女性においても五十歩百歩です。最終分娩年齢が戦前の43才から30才に若年化したことによって、末っ子の巣立ちの時の母親の年齢が著しく若くなり、これと平均余命の上昇が重なって、「空の巣」状態の母性をかこつ時間が極端に長くなりました。

 こういう哲学的観念の変化等が、老人医療費の問題に影を落としています。冒頭に述べた梢に残る枯れ葉のように、恋恋としてまとい憑く生への執着と煩悩としての死への恐怖が人をして安心立命の境地に入ることを拒みます。このことが、老人医療費をアップし、今日、先端医療を圧倒的に老人医療に多く投入させる原因になっています。


§3.おわりに

 以上、技術が持つ性行としての限局化からくる医療の内延と、技術革新・情報化社会化・高齢化社会化という時代の中で、先端医療をめぐる外延としての問題点を挙げてきました。どれを取っても、容易に処方箋を書けるような代物ではありません。それは、ここに起こっている問題が私達の構築した文化の、したがって私達が無意識に所有している価値観の深い次元に関わっている事柄ばかりだからに他なりません。

ここに挙げた、社会の3つのトレンド、技術革新・情報化社会化・高齢化社会化は、どれをとっても私達が本質的に善であると承知していることです。こういう流れに異義を唱えることも一つの立場ではあります。しかし、そういう立場は、一歩間違うと醜いアナクロニズムに陥ります。世界を支配している法則を知りたいとする科学的関心は人間を人間たらしめている本質と言ってよいでしょう。その結果、技術に至り、技術革新を押し進め、豊かさの成果として必然的に情報化し、寿命を伸ばしてきたのです。その段階の中で、上に見てきたような医療を取り巻く内実と外延とが生じてきました。歴史の進み行きは、なかば必然的に矛盾に向かって進んできたように思われます。

 しかし、これをもう少し別の視点から眺めてみると国民医療の在るべき姿が見えてくるようにも思われます。

 筆者は先に、医療における技術革新が国民医療費の高騰につながっていると述べました。それはそのとおりなのですが、これは技術革新の投入部分を間違えたからに他なりません。すなわち、メディカルエレクトロニクス、バイオメディカルなどの先端医療が、なんらかの発病を自覚している「患者」に適用されていることに問題があります。つまり、聴診器と患者からの聞き取り以外に診察ができなかった時代、患者は病気を訴えて医者を訪れたのですが、その時代と同じ訴えを持った患者を先端医療機器によって診断しているのです。勿論、そのこと事態に良い悪いと即断はできませんが、その結果、先端機器が無ければ診察できない未熟な医者と、患者の顔色を見ればすぐ診断できるという名医で、前者が圧倒的に経営上手だと、よく言われる笑い話が出てきます。この笑い話は、患者の顔色が、癌の末期の患者のそれである時に可笑しさを発揮します。そういう時、ビジュアルな先端機器を使って体中を調べて、必ず死ぬことを発見するのであれば、程ほどに顔色から類推する診察方法と結果において差は無いことになります。

 しかし、そうではなくて、患者が全く病識を持たないときではどうでしょうか。そういう時には、さすがに名医をもっては診察は不可能でしょう。こういう場合こそ先端医療機器の出番です。ただ、問題は病識の無い人が「患者」として医療機関を訪れてくれるかどうか、ということがありますが、それは別に考えるとして、つまり先端医療は病識の無い「健康人」(と思っている人)に適用すること、予防医療にこそこれは使われるべきであったのです。

 いまの医療の多くは、例えば癌で入院加療をしてる人の、そこに至る経緯をみますと、先ず患部の痛み等の自覚によって医療機関を訪れ、診察の結果癌と診断され、手遅れでなければ手術します。しかし、自覚症状を持った程の程度ですから、既に病気は進行していて、ついには不帰の人となって昇天するか、長期入院を余儀なくされるか、というのがお決まりのコースです。その結果心ならずも、当人は相当額の請求書を保健組合に残し、謂わば敵前逃亡よろしく「たつ鳥」となって後を濁すか、そうでなくても残りの人生全てを投入しても組合の負担を返済せずにドロンする、という様です。

 これが、自覚の無い初期状態で、従って先端検査機器によってしか病巣を発見できない程度の癌を発見したとしたとき、軽微な手術によって回復し、社会に復帰して、この間受けた健康保健組合にも返済をして逃亡者の汚名をそそぐことができます。こうして、敵前逃亡は人格を疑われる行為であるという価値観を人々が持つとき、先端医療の本当の意味が現れてくることでしょう。

 人は所詮死にます。それゆえに、生ある間は、人は充実した生を生きたいと願います。しかし、今の医療の実態は制度的にも実際的にも健康な人を対象にしていません。医療行為とは病者を直すことではなく、健康者の病者への転落を防ぐ行為でなければならないと筆者は考えます。また、人が所詮死に至るものである以上、人として心身共に健康な死を迎える文化、これをいま私達は真剣に考えるべき時代に生きているように思われます。医療は文化であり、どのような医療を制度として持っているかは、その社会のコスモロジーを写し出すものだと筆者は思います。能く死ぬ保証こそ、能く生きれる社会なのだと思います。

 近代医療の歴史は、その源流をヨーロッパの修道院に求めることができます。そこで行われた医療は、癒やしであり、治療ではありませんでした。英語では、日本語の治療に相当する言葉として、healing とcurring とがあり、両者は異なった意味に使われます。医学が科学になった結果、医療は専らcurringになりました。人は必ずしも病気だけで死ぬわけではありません。アフリカでは今でも呪いによって人が死にます。医療がコスモロジーであるように、病気もコスモロジーだからに他なりません。人が病者となるのは必ずしも疾患に因るのではありません。疾患(disease) は体の器官の所有する何かであり、病気(illness) は人の所有する何かです。人が病者になるのは、自分の肉体の全能感を失ったとき、また自分の生きている社会から隔絶されたときです。それゆえ、人が求めて病院を訪れるのは、healing であってcurring ではなかったのです。そこに医術の重要な使命がありましたし、現代医療が、それこそ「素人」に不評な原因となっているのです。医療の荒廃が叫ばれていますが、これが真に改善される途は、癒やしとしての医療が先にあり、しかる後に科学としての治療が影のように付随する、現状と逆の形態になったときでありましょう。



国民医療費の推移(厚生省データ)