No.29 殺生嫌い
仏の教えの中には「不殺生」がある。大店のご隠居・仁兵衛さんは実に信心が深く、よって大の殺生嫌いである。その仁兵衛さんの一日は、墨田川端に沿う町内一周の散歩から始まる。あるときのこと仁兵衛さんがうなぎ屋の前にさしかかると、うなぎ屋のおやじがちょうどうなぎを裂き台に 載せて裂くところだった。
仁兵衛: 「これ、これ、おまえそのうなぎをどうしようってんだい?」
おやじ: 「へぃ、いま店のお客の注文で蒲焼を作るところでさぁ。」
仁兵衛: 「かわいそうなことをするねぃ。逃がしてやれ、逃がして!」
おやじ: 「冗談じゃありません。こいつを逃がしていちゃ、あっしら一家はマンマの食い上げでさぁ」
仁兵衛: 「しょうがないねぇ。それじゃわしがそのうなぎを買ってやらぁ、一体いくらだい?」
おやじ: 「へぇ、二両でさぁ。」
仁兵衛: 「高いねぇ、でも背に腹は代えられれねぇ。しかたねぇ、ほら二両だ! なあ、お前を助けてやるから、二度とああいうばか者に捕まるんじゃないぞ!」
こう言って仁兵衛さんは表の川にうなぎをボチャンと投げ込んで、「ああ、いい功徳をした!」と満足して家に帰った。
その翌日、同じうなぎ屋の前;
仁兵衛: 「あれぇ?!、また、あのばか者はうなぎを殺そうとしているぞ。懲りない奴だな。これ、これ、まだお前はそんな殺生をしているのか? 昨日のより少し小さいようだが、それはいくらだい?」
おやじ: 「へい、今日はしけでうなぎが品薄ですからな、小さくてもお値段は昨日と同じ2両でさぁ。」
仁兵衛: 「仕方がないねぇ。背に腹は代えられないからなぁ。お前も二度とああいう馬鹿者に捕まるんじゃないよ。」
こう言って、表の川にボチャン。
こうなると、うなぎ屋の夫婦は仁兵衛さんが来るのを心待ちにするようになった。なにしろ、仁兵衛さんからの収入が実に安定していたから。しかし、それから暫くすると仁兵衛さんはぷっつり来なくなってし まった。
おやじ: 「どうしたのかねぇ、あの爺さん?トンと来なくなっちゃったねぇ。」
女房 : 「そうだよ、お前さんがあこぎなことして、あのお爺さんにふっかけて、高い金でうなぎを買わせたからだよ。きっと、あのお爺さん、息子にでも見つかってしかられてんだよ。」
おやじ: 「おい、見ろよ。噂をすりゃ影って言うよ。あのお爺さん、来たぜ。おい、はやくうなぎを出しねぇ。」
女房 : 「お前さん、今日は河岸が休みで何にも無いよ。」
おやじ: 「うなぎが無けりゃ、めざしでも何でもいいよ。」
女房 : 「めざしだって無いよ!」
おやじ: 「じゃあいいよ、うちの赤ん坊をよこしねぇ。」
女房が赤ん坊を渡すと、それをうなぎの裂き台に乗せて、裂くふりをする。
仁兵衛: 「これ!これ!、そんなかわいい赤ん坊をどうしようって言うんだ? おお、お、可愛そうになぁ。おい、その赤ん坊はいくらだい?」
おやじ: 「へい、これは人間の子供だから高くて10両でさぁ。」
仁兵衛: 「しかたねぇ。命には代えられねぇ。俺によこしな。なあ、お前も、あんな馬鹿な親に捕まっちゃいけないよ!!。」
こう言って仁兵衛さんは、赤ちゃんを受け取ると、表の川にボチャン!!!。