芭蕉自筆本と西村本との異同

 下記における表記: 自筆本 西村本

(芭蕉自筆本を訂正して西村本に改訂したと想定した表現)

「奥の細道」本文へ


�@ 簡単なひらがな文字の漢字変換
例)「うまれ→生れ」「みる→見る」「つたひ→伝ひ」 「をんな→女」「あはれ→哀」「ならひ→習ひ」「ちかし→近し」「ふす→臥す」「よる→夜」「むかし→昔」「こころ→心」
�A 難しい漢字のひらがな変換
例)「猶→なほ」「礒→いそ」「湊→みなと」「雎鳩→みさご 」
�B 不適切な用字の訂正 
例)「道岨神→道祖神」「仍→依」「処→所」「短尺→短冊」「下ル→下る(下付カタカナ全廃)」 「左り→左」「火打が城→燧が城」 「大き成→大きなる」「栗といふ文字は栗西の木と」
�C 汎用性の高い方の選択 「艸→草」「波→浪」「縁記→縁起」「有→あり」「道→路」「この→此」 「寐→寝」「名残→余波」
�D 素龍の趣味か? 「晴れ→霽 れ」「ささへ→小竹筒」
�E 素龍の転記ミスか? 「有馬→有明」「山中温泉での曾良の句に曾良の名前が落ちている」
�F 混乱してる用字例 「舟/船」「涙/泪」「みる/見る」「もの/物/者」
�G 芭蕉の学識不足による? 「剛毅木納訥の仁」「智愚気稟の清質」「墜堕涙 の石碑」「康泰衡」
�H 芭蕉が関与して改めたと思われるもの
例)「予もいづれの年」「弥生も末の七日元禄二とせにや(ことし元禄二とせにや奥羽長途の行脚)」 「草加 と云宿にたどりて着にけり」「脇第三とつヾけて一三巻となしぬ 」「等躬窮」 「五月雨のや年々降て五百たびのこしてや光堂」「蛍火の昼は消つゝ柱かな」「富るものなれども心ざし志さすがにいやしからず都にも折々かよひてさす がに旅の情をも 」

月日は百代の過客にして行かふ
年も又旅人也舟の上に生涯
をうかべ馬の口とらへえて老をむ
かふるもの物は日々旅にして
旅を栖とす古人も多く旅に
死せるあり予もいづれの年よりか
片雲の風にさそはれて漂泊
のおも思ひやまず海浜にさすらへ
て去年の秋江上の破屋に
蜘の古巣をはらひてやゝ
年も暮春改れば立る霞の空に
白川の関こえんとそヾろがみ神
の物に付つきてこころ心をくるはせ
道岨祖神のまねきにあひて取
もの手につかずもゝ引の破を
つヾり笠の緒付かえて三里に
灸すゆるより松嶋島の月先心
もとなしにかゝりて住る方は人に譲りて
杉風が別墅に移るに

草の戸も住替る代ぞ雛ひなの家

面八句を書て庵の柱に懸置
弥生も末の七日元禄二とせにや
明ぼのゝ空朧々として月は有
あけ在明にて光おさまれる物から冨
士不二の峯幽かに 見みえて上野谷
中の花の梢又いつかはと心ぼそし
むつましきかぎりは宵よりつどひて
舟に乗りて送る千じゆと云処所
にて舟船をあがれば前途三
千里のおもひ胸にふさがりて
幻のちまたに離別の涙泪をそゝぐ

行春や鳥啼魚の目は泪

これ是を矢立の初として行道
猶なをすゝまず人々は途中に立
ならびて後かげのみゆるまで迄はと
見送なるべし
此たびことし元禄二とせにや奥羽長途の行脚ただ只
かりそめにおも思ひ立たちて呉天に
白髪の恨を重ぬといへども共
耳にふれていまだ目めに見ぬ境さかひ
若生て帰らばと定なき頼
の末を楽てかけ其日漸々草加 と
云宿にたどりて着にけり痩骨
の肩にかゝれる物先くるしむ
唯只身すがらにと拵出立侍るを帋子
一衣は夜ル臥為と云の防ぎゆかた雨
具墨筆のたぐひあるはさ
りがたき花むけ餞などしたるは
さすがに打捨がたくて日々路頭路次の
煩となれるこそわりなけれ
室の八嶋島に詣スす同行曾良が曰此神は
木の花さくや姫の神と申て富士一
躰也無戸室に入て焼たまふ給ふ
ちかひのみ中に火火々出見のみこと
うまれ生れ給ひしより室の八嶋島と申又煙を
読習し侍もこの謂也将このしろといふ魚を禁ず
縁記起の旨世に伝ふこと事も侍 し
丗日日光山の麓に泊るあるじの
云けるやう我名を仏五左衛門と云
万正直を旨とする故に人かくは
申侍るまゝ一夜の草の枕も打と
け解て休み給へと云いかなる仏の
濁世塵土に示現してかゝる
桑門の乞食順礼ごときの人を
たすけ給ふにやとあるじのな
す事に心をと ヾめて見みるに唯
無智無分別にして正直偏固
のもの者也剛毅木納訥の仁にちか近
きたぐひ智愚気稟の清質尤尊
ぶべし
卯月朔日御山に詣拝す往昔此
御山を二荒山と書しを空海
大師開基の時日光と改たま給ふ
千歳未来をさとり給ふにや今此
御光一天にか ヾやきて恩沢八荒に
あふれ四民安堵の栖穏也なり猶
憚多くて筆を指さし置ぬ

あならたふうと青葉若葉の日の光


黒髪山は霞かゝりて雪いまだ
白し

剃捨て黒髪山に衣更  曾良

同行曾良は河合氏にして惣五郎
と云へり芭蕉の下葉に軒をならべて予が
薪水の労をたすく此このたび松嶋しま
象潟の眺共にせん 事をよろ
こ悦び且は羈旅の難をいたはりらんと旅
立暁髪を剃て墨染にさまをか
へえて惣五を改て宗悟とす仍て
黒髪山の句有衣更の二字力有ありて
きこゆ
 二十廿余丁山を登ツつて滝有岩洞
の頂より飛流して百尺千岩の
碧潭に落たり岩窟に身をひそ
め入て 滝の裏より見みればうら
みの滝と申伝え侍る也

暫時しばらくは 滝にこもるや夏の初

那す須の黒ばねと云処所に知人あれば
これ是より野越にかゝりて直道を
ゆかんとす遥に一村を見かけて
行に雨降り日暮るゝ農夫の
家に一夜をかりて明れば又
野中を行そこに野飼の
馬あり草刈おのこになげきよれば
野夫といへ共どもさすがに情しらぬには
あらず非ずいかヾすべきやされ共ども此野は東
西縦横にわかれてうゐうゐ敷旅人の
道ふみたがへえんあやしう侍れば
この此馬のとヾまる処所にて馬を返し
給 へとかし侍ぬちいさき者ふたり馬の跡し
たひてはしるひとり独は小娘姫にて
名をかさねと云聞なれぬ名のやさし
かりければ

かさねとは八重撫子の名成べし  曾良

頓て人里に至ればあたひを鞍つぼに
結付て馬を返しぬ
黒羽の館代浄坊寺何某がしの方に音信ルる
おも思ひがけぬあるじのよろこ悦び日夜語
つヾけて其弟桃翠など云が朝夕勤
とぶらひ自の家にも伴ひて親属の
方にもまねかれ日をふるまゝに
ひとひ郊外に逍遙して犬追ものゝ物の跡
を一見し那す須の篠原をわけて玉藻の
前の古墳をとふそれより八幡宮に詣
与市宗高扇の的を射し時別しては我
国氏神正八まんとちかひしも此神社
にて侍るときけ聞ば感応殊しきりに覚えらる
暮れば桃翠宅に帰る
修験光明寺と云有そこにまねかれて
行者堂を拝す

夏山に足駄をおが拝む首途哉


当国雲岸寺のおくに 仏頂和尚の山
居の跡有あり

  竪横の五尺にたらぬ草の庵
   むすぶもくやし雨なかりせば

と松の炭して岩に書付侍りといつぞや
きこへ聞え給ふ其跡みんと雲岸寺に杖を
曳ば人々すゝんで共にいざなひ若き
人おほく道の程ほど打さはぎておぼえず
彼麓に至到る山はおくあるけしき
にて谷道はるか遙に松杉くろ黒く
苔したヾりて卯月の天今猶寒し
十景尽る所橋をわた つて山門に入
さて
彼かの跡はいづくの程ほどにやと後の山に
かけよぢのぼれば石上の小 菴岩窟に
むすびかけたり妙禅師の死
関法雲え法師の石室を見るが
ごとし

木啄も庵はくらはずやぶらず夏木立

ととりあへぬ一句を柱に残侍し
これ是より殺生石に行館代より馬にて
送らる此口付のおのこ短尺冊得させ
よと乞やさしき事を望侍るもの
かなと

野をよこ横に馬挽牽むけよ郭公ほとゝぎす


殺生石は温泉の出る山陰に
あり石の毒気いまだ
ほろびず蜂蝶のたぐひ真砂
の色の見えぬほどかさなり死す
又清水流ながるゝの柳は芦蘆野の
里にありて田の畔に残る此所の郡守故
戸部某の此柳見みせばやなど折 々に
の給ひきこへ聞え給ふをいづくのほどにやとお
も思ひし をけふ今日この此柳のかげに
こそ立ち寄より侍つれ

田一枚植て立去ルる柳かな


心もと許なき日数かず重るまゝに白河川の
関にかゝりて旅心定りぬ
いかでみやこ都へと便もとめ求しも
断リなり也中にも此関は三関の
一にして風そうの人こころ心をとヾむ
秋風を耳に残しもみぢ紅葉を俤
にして青葉の梢猶あはれ也
卯の花の白妙に茨の花の咲そひて
雪にもこゆるこゝち心地ぞする
古人冠をたヾし正し衣しょう装を改
し事など清輔の筆にもとヾめ
置れしとぞ

卯の花をかざしに関の晴着哉かな   曾良

そう:馬偏に喿 しょう:将の下に衣


兎角とかくして越行まゝにあぶくま川
をわた渡る左りに会津根高く右に
岩城相馬箕張三春の庄常陸下野の地をさかひて
山つらなるかげ沼と云所を行にけふ今日は空
曇りて物ゝ影うつらず須すか川の
駅に等躬窮といふものをたづね尋て
四五日とヾめらる先「白河の関いかに
こえつるにやと問長途のくるしみ身-心
つかれ且は風景に魂うばゝれ懐旧
に腸を断てはかばかしうおも思ひ
めぐらさず

風流の初やおくの田植うた

無下にこえんもさすがにと語れば
脇第三とつヾけて一三巻となしぬ
この此宿の傍に大き成なる栗の木陰をたのみて
世をいとふ僧有橡ひろふ太山もかく
やと�閧ノ覚られてものに書付侍ルる
其詞
   栗といふ文字は栗西の木と
   書て西方浄土に便ありと
   行基菩薩の一生杖にも
   柱にも此木を用給ふとかや

世の人の見付ぬ花や軒の栗


等躬窮が宅を出て五里計檜皮
の宿を離れてあさか山有道路より
ちか近し此あたり沼多しかつみ刈比
もやゝちかふ近うなればいづれの草を花
かつみとは云ぞと人々に尋侍れども
更知人なし沼を尋人にとひかつみ
かつみと尋ありきて日は山の端にかゝりぬ
二本松より右にきれて黒塚の岩屋
一見し 福嶋島に泊宿るあくればしの
ぶもぢ摺りの石を尋て忍ぶの里さとに行
はるか遥山陰の小里に石の半土に埋てあり
里の童べ部の来りてをしへ教けるがむかし昔は
この此山の上に侍しを往来の人の麦艸草を
あらしてこの此石を試侍るをにくみて
この此谷につき落せば石のおもて面下
ざまにふしたりと云さもあるべき事もにや

早苗とる手もとや昔しのぶ摺


月の輪の渡わたしを越て瀬の上と云宿に
出ヅづ佐藤庄司が旧跡はひだり左の山際一
里半計に有飯塚の里鯖野と聞
尋 ゝ行に丸山と云に尋あたる
是庄司が旧館也麓に大手の跡な
ど人のをしゆ教ゆるにまかせて泪を落シし又
かたはらの古寺に一家の石碑を残スす
中にも二人の嫁がしるし先あはれなり哀也
をんな女なれ共どもかひがひ敷しき名の世に聞へえ
つるもの物哉かなと袂をぬらしぬ墜堕涙
の石碑も遠きにあらず寺に入て
ちや茶を乞へば爰に義経の太刀弁慶が
笈をとヾめて汁物とす

笈も太刀も五月にかざれ帋幟

五月朔日の事也
其夜飯塚にとまる出湯温泉あれば湯に入て宿をかるに
土坐に筵を敷てあやしき貧家也
ともし灯もなければゆるりゐろりの火かげに
寐寝所をまうけてふ臥す夜に入て雷
鳴雨しきりに降てふした臥る上により
雨もりて蚤蚊にせゝられて眠らず
持病さへおこりて消入計になん短
夜の空もやうやう明れば又旅立ぬ猶
よる夜の名残余波心すゝまず馬かりて桑折
の駅に出ズるはるか遥なる行末をかゝ え
てかゝ斯る病覚束なしといへど羇旅
辺土の行脚捨身無常
の観念道路にしなんこれ是
天の命なりと気力聊とり直し
道路縦横に踏で伊達の大木戸を
こす
あぶみ鐙摺白石の城を過て
笠しま島の郡に入れば藤中
将実方の塚はいづくの程ほどならんと
人にとへば
これ是より遥右に見ゆる山際の里を
みのわ笠嶋島と云道岨祖神の社かたみ見
の薄今に侍るありとおし教ゆ此比の五月雨に
道いとあしく身つかれ侍ればよそながら
ながめ眺やりて過るにみのは簑輪笠しま島も
五月雨の折にふれたりと

笠嶋島はいづこさ月のぬかり道

岩沼に宿る*

武隈の松にこそ目め覚る心地はすれ
根は土際より二木にわかれてむかし昔の
姿うしなはずとしらる先能因法師おも思ひ
出往昔むつのかみにて下りし人此
木を伐て名取川の橋杭にせられたる
事などあればにや松は此たび跡もなしとは
よみ詠たり代々あるはきり伐あるひは植次継
などせしと聞に今将千歳の
かたちとゝのほひて、めでたき松のけしきに
なん侍し
  たけくま武隈の松みせ申せ遅桜
   と挙白と云ものゝ餞別したり
   ければ

桜より松は二木を三月越シ


名取川をわたつ渡て仙台に入あやめふ
く日也旅宿をもとめて四五日逗留す
爰に画工加右衛門と云ものあり聊心
あるもの者と聞て知る人になるこの
もの者年比さだか ならぬ名どころを考置
侍ればとて一日案内す宮城野の
萩茂りあひて秋のけしき気色おも思ひ
やらるるゝ玉田よこ野つゝじがおか岡はあせび
咲比ころ也日かげ影もゝもらぬ松の林に
入て爰を木の下と云とぞむかし昔も
かく露ふかければこそみさぶらひみ
かさとはよみたれ薬師堂天神の
御社などおがみ拝て其日はくれぬ
猶松嶋島塩がまの所々画にかき書て
送る且紺の染緒つけたる草鞋
二束足はなむけ餞すさればこそ
風流のしれもの爰に至りて
其実をあらは顕す

あやめ草足に結ん草鞋の緒


彼かの画図にまかせてたどり行ばおくの細道
の山際に十符の菅有今も年々十符の
菅菰を調て国守に献ずと云り
  壷碑  市川村多賀城に有
つぼの石ぶみは高
さサ六尺余横三尺計歟苔を
穿て文字幽也四維国界之数里を印スしるす此城
神亀元年按察使鎮守苻符将軍大野
朝臣東人之所里也天平宝字六年
参議東海東山節度使同将軍恵
美朝臣あさかり修造而十二月一朔日と有
聖武皇帝の御時にあた当れりむかし
よりよみ置る歌枕多くおほくかたり語伝ふ
といへども山崩川流て道あらたま
り石は埋て土にかくれ木は
老て若木にかはれば時移り
代変じて其跡たしかならぬ
事のみを爰に至りてうたがひ疑なき
千歳の記念今眼前に古人の心
を閲す行脚の一徳存命の悦び
羇旅の労をわすれて泪も落る
ばかり也

あさかり:犭偏に萬


それより野田の玉川沖の石を
尋ぬ末の松山は寺を造りて
末-松-山と云いふ松のあひあひ皆墓原はら
にてはねをかはし枝をつらぬる
契りの末も終にはかくのごときと
かな悲しさも増りて塩がまの浦に
入逢相のかねを聞五月雨の空聊
はれて夕月夜かすか幽に籬が嶋島も
程ほどちか近しあま蜑の小舟こぎつれて
肴わかつこゑ声々に
綱手つなでかなしもとよみけん歌のこゝろ心も
しられていとヾあはれ哀也其夜目盲法
師の琵琶をならして奥上るりと云もの
をかたる平家にもあらず舞にもあらずひ
なびたる調子打ちうち上て枕ちかうかしましけれど
さすがに辺国土の遺風わす忘れざるもの
から殊勝に覚らる
早朝塩竈がまの明神に詣ヅ国守再興改せられて
宮柱ふとしく彩-椽きらびやかに
石の階九尋仞に重り朝日あけの玉
がきをかゝやかすかゝる道の果塵土
のさかひ境まで神霊あらたにまします
こそ吾国の風俗なれといと貴しけれ
神前に古き宝-燈有かねの戸びら
のおもて面に文治三年和泉の三郎
奇進と有五百年来の俤今目
の前にうかびてそヾろに珍し
渠は勇義忠孝の士也佳命名今
に至りてしたはずといふ事なし誠人能
道を勤め義を守て佳 命をおもふるべし
名も又またこれ是にしたがふと云り
日既午にちかし
舟船をかりて松嶋島に
渡ルわたる其間二里余小嶋雄島の磯につく
抑ことふりにたれど松嶋島は扶桑第一の好風に
しておよそ凡洞庭西湖を恥ず
東南より海を入て江の中三里 浙
江の潮をたゝふ嶋島々の数を尽して
欹ものは天を指ふすものは波に匍
匐あるは二重にかさなり、三重に
畳みて左りにわかれ右につらなる負る
あり抱るあり児-孫愛すがごとし
松のみどり緑こまやかに、枝-葉汐風に
吹たはめて窟屈-曲 をのづからためた
るがごとし其気色窅然として
美人の顔を粧ふ千早ちはや振神のむかし
大山ずみのなせるわざにや造-化の
天工いづれの人か筆をふるひ詞を
尽さむ
小嶋雄島が磯は地つヾきて海に成出たる嶋島也雲
居禅師の別室の跡坐禅石など有将松
の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて落
ほ穂松笠など打煙けふりたる草の庵菴��閑に住なし
いかなる人とはしられずながら先なつかしく立
寄ほどに月海に移うつりて昼のながめ又
あらたむ江上に帰りて宿を求れば窓を
開ひらき二階を作て風雲の中に旅寝寐する
こそあやしきまでたへ妙なる心地はせらるれ。

松島や鶴に身をかれほとゝぎす   曾良

予は口をとぢて眠らんとして
いねられず旧庵をわかるゝ時素堂
松嶋島の詩有あり原安適松がうらしまの
和歌を送贈らる袋を解てこよひの
友とす且杉風濁子が発句あり
十一日瑞岩寺に詣当寺三十二世の
昔真壁の平四郎出家して入唐
帰朝の後開山す其後に雲居禅師
の徳化に仍依て七堂甍改りて
金壁荘厳光を輝シ仏土
成就の大伽藍とはなれりける
彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる
十二日平泉と心指ざしあねはの松
緒だえの橋など聞伝て人跡
稀に雉兎蒭-蕘の往かふ道そこ
共ともわかず終に道路ふみたがへて石
の巻といふ湊に出ズこがね花咲と
よみて奉りたる金花山海上に見渡シわたし
数百の廻船入江につどひ人家地をあらそ
ひて竈のけぶり煙立つヾけたりおも思ひ
かけずかゝ斯る処所にも来れる哉と宿からん
とすれど更に宿かす人なし漸々
まどしき小家に一夜を明あかして
明れば又しらぬ道まよひ行袖の
わたり尾ぶちの牧まのゝかや萱はら
などよそめにみてはるか遙なる
堤を行心ぼそ細き長沼にそふて
戸伊摩と云所に一宿して平泉に
至到る其間二十廿余里程とほどゝ覚おぼゆ
三代の栄耀一睡の中にして大門の跡は
一里こなたに有秀衡が跡は田野
になり成て金鶏山のみ形を残す
先高館にのぼれば北上川南部より
流るゝ大河也衣川は和泉が城を
めぐりて高舘館の下にて大河に落入
康泰衡等が旧跡は衣が関を隔て
南部口を指さしかた堅めゑぞ夷をふせぐと
みえたり扨偖も義臣すぐ つて此城に
籠こもり功名一時の草村叢となる
国破れて山河あり城春にして
青々草青みたりと笠打敷て時のう
つるまでなみだ泪を落し侍りぬ

夏艸草や兵共どもが夢の跡

卯の花に兼房みゆる白毛哉かな   曾良

兼て耳驚したる二堂開帳す経堂は
三将の像を残のこし光堂は三代の棺を
納メめ三尊の仏を安置す七宝散うせて
玉珠の扉風に破やぶれ金の柱霜雪に朽て
既頽廃空虚の草村叢とな成るべきを
四面新に囲て甍を覆て風雨を凌
暫時千歳の記念とはなれり

五月雨のや年々降て五百たびのこしてや光堂

蛍火の昼は消つゝ柱かな


南部道はるか遙に見みやりて岩手の
里に泊る小黒崎水みづの小嶋島を過て
なるごの湯より尿前の関にかゝ
りて出羽の国に越んとす此道路
旅人稀なる処所なれば関守に
あやしめられて漸にとして関を
こす大山をのぼ つて日既暮け
れば封人の家を見かけて舎リ
を求ムむ三日風-雨あれてよし
なき山中に逗留す

蚤虱馬の尿する枕もと

あるじの云これ是より出羽の国に
大山を隔て道さだかならざれば
道しるべの人を頼みて越べきよしを
申さらばと云て人を頼侍れば
究-竟の若もの者反脇指をよこたへえ樫の
杖を携て我々が先に立て行
けふこそ必あやうきめにもあふべき
日なれと辛き思ひをなして
後について行あるじ の云にたがはず
高山森々として一鳥声きかず木
の下闇茂りあひて夜ルる行がごとし
雲端に土つちふる心地して篠の中踏分
踏分水をわたり岩につまづい蹶て
肌につめたき汗を流して最上の
庄に出ズづ彼かの案内せしおのこの云やう
この此道みち必不用の事有つゝが恙なう送をくり
まいらせて仕合したりとよろこびて
わかれぬ跡に聞てさへ胸とヾろく
のみ也
尾花沢にて清風と云もの者を尋ぬ
かれは富るものなれども心ざし志さす
がにいやしからず都にも折々かよひて
さす がに旅の情をもしり知たれば日比とヾめて
長途のいたはりさまざまとにもてなし侍る

涼しさを我宿にしてねまる也

這出よかひやが下のひきのこゑ声

まゆはきを俤にして紅粉の花

子蚕飼する人は古代の姿すがた哉   曾良


山形領に立石寺と云山寺有あり
慈覚大師の開記基にして殊清閑の
地也一見すべきよし人々のすゝむるに
仍依て尾花沢よりとつて返し其間
七里計ばかりなり也日いまだ暮ず麓の
坊に宿かり置て山上の堂に登ルのぼる
岩に岩尾巌を重て山とし松栢年ふり旧
土石老て苔なめらか滑に岩上の院々
扉を閉て物の音きこえず岸をめぐり
岩を這て仏閣を拝し佳景寂寞
としてこゝろ心すみ行のみ覚おぼゆ

閑さや岩にしみ入蝉の声


もがみがわ最上川のらんと大石田と云処所に
日和を待爰に古き俳諧のたね種
落こぼれてわす忘れぬ花のむかしを
したひ 芦角一声の心をやはらげ此
道にさぐりあししゝて新古ふた道に
ふみまよふといへどもみちしるべする人し
なければとわりなき一巻を残しぬ
このたびの風流 爰にいた至れり
最上川はみちのくより出て山形を
水上とすごてんはやぶさなど云お
そろしき難所有板敷山の北を
流て果は酒田の海に入左-右山
おほ覆ひ茂みの中に船を下スす
これを是にいなふね稲つみたるをや、いな船と云いふならし。白糸の 滝は青葉
の隙々に落て仙人堂岸に臨て立
水みなぎつて舟あやうし

さみだれ五月雨をあつめて早し最上川


六月三日羽黒山に登る図司左吉
と云もの者を尋て別当代 会覚阿
闍梨に謁す南谷の別院に舎して
憐愍の情こまやかにあるじせらる
四日於本坊にをゐて俳諧興行

有難や雪をかほらす南谷

五日権現に詣当山開闢能除大師は
いづれの代の人と云事を知らず
延喜式に羽州里山の神社と有書
写黒の字誤てを里山となせるにや羽
州黒山を中略して羽黒山と云にや
出羽といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍とやらん。
月山湯殿を合て三山とす当-寺
武-江東-叡に属して天-台止-観の
月明らかに円-頓融-通の法の 燈かゝげ
そひて僧坊棟をならべ修-験行-
法を励し霊-山霊-地の 校-験効人貴ビ
且恐ルる繁-栄長にして目出めで度御山
可と謂つべし
八日月-山に登ルのぼるに木綿しめ身に引かけ
宝-冠に頭を包強-力と云ものに
道びかれて雲-霧山-気の中に
氷-雪を踏てのぼる事八里更に
日-月行-道の雲-関に入かとあやしまれ
息絶身こヾえて頂-上に至臻れば
日没て月あらわ顕る笹を鋪篠を
枕として臥て明るを待日出て雲
消れば湯殿に下ルる
谷の傍に鍛冶小屋と云有此国の鍛-
冶霊-水を撰て爰に潔-斎して
剣を打終月-山と銘を切て世に
賞せらる彼竜-泉に剣を淬とかや
干将莫耶の昔むかしをしたふ道に堪
能の執あさからぬ事しられたり
岩に腰かけてしばしやすらふ程ほど
三尺計ばかりなる桜のつぼみ半ばにひらける
ありふり積雪の下に埋てはる春をわ
す忘れぬ遅桜ざくらの花の心わりなし
炎天の梅-花爰にかほるがごとし
行尊親王僧正の歌の哀も爰に思ひ出て、猶増まさりて覚ゆ
惣而て此山-中の微-細行者の法式として
他言する事を禁ず仍て筆をとヾめて
しる記さず
坊に帰れば阿闍梨の求需に仍依て
三-山順-礼の句々短尺冊に書

涼しさやほの三か月の羽黒山

雲の峯峰幾つ崩て月の山

語られぬ湯殿にぬらす袂哉かな

湯殿山銭ふむ道のなみだ泪かな   曾良

剣:「金」偏に又

羽黒を立て鶴が岡の城下長山氏
重行と云ものゝ物のふの家にむかへられて
俳諧一巻有左吉も共に送りぬ
川舟に乗て酒田のみなと湊に下ルる
淵庵不玉と云医師の許を宿とす

あつみ山や吹浦かけて夕すヾみ

暑き日を海にいれたり最上川


江-山水-陸の風光数を尽して今象潟に
方寸を責酒田の湊より東-
北の方山を越礒をつた伝ひいさごを踏ふ み
て其際十里日影やゝかたぶく比
汐風真砂を吹上雨朦-朧として
鳥海の山かくる闇-中に莫-作して
雨も又奇なり也とせば雨後の晴-色又
頼母敷と蜑の苫屋に膝を入いれて雨の
晴るゝを待其朝天能晴霽て朝日
花やかに指さし出る程に象潟に舟をうかぶ
先能因嶋島に舟をよせて三年幽
居の跡をとぶらひむかふの岸に舟
をあがれば花の上こぐとよまれし
桜の老木西行法師の記念を残スのこす
江上に御陵あり神功皇宮の
御墓と云寺を干満珠寺と云
この此処に行幸ありし事いまだき
か聞ずいかなる故ある事にや此寺の
方丈に座して簾を捲ば風景
一眼の中に尽て南に鳥海天を
さゝへえ其陰うつりて江に有あり西は
むやむやの関路をかぎり東に堤
を築て秋田にかよふ道遙に海北に
かまへえて波浪打入るゝ処所を汐こしと云
江の縦横一里ばかり俤松嶋島に
かよひて又異なり松しま島はわら笑ふがごと如く
象潟はうらむがごとしさび寂しさに
かな悲しみをくはえて地勢魂をなや
ますに似たり

象潟や雨に西施がねぶの花

汐越や鶴はぎぬれて海涼し

祭礼

象潟や料理何くふ神祭   曾良

蜑の家や戸板を敷て夕すヾみ涼   美濃の国商人 低耳

岩上に雎鳩みさごの巣を見る

波こえぬ契ありてやみさごの巣   曾良


酒田の余波日を重て北陸道の
雲に望 遙遙々のおもひ胸をいた
ましめて加賀の苻府まで百三十丗
里と聞鼠の関をこゆれば
越後の地に歩行を改て越中
の国一ぶりの関に至到る此間九日
暑湿の労に神をなやまし病をおこりて
事をしるさず。

文月や六日も常の夜には似ず

荒海や佐渡によこたふ天河


けふ今日は親しらず子しらず犬もどり駒返し
など云北国一の難所を越てつかれ
侍れば枕引よせて寝寐たるに一間隔て
面の方に若きをんな女の声二人計ときこゆ
年老たるおのこの声も交て物語する
をきけば越後の国新潟と云処所の
遊女成し伊勢に参宮するとて
此関までおのこの送りてあすは古里郷に
かへす文したゝめてはかなき言伝など
しやる也白波浪のよする汀に身をはふら
かしあまのこの世をあさましう下りて
定めなき契日々の業因いかにつた
なしと物云を聞々きくきく寝寐入てあし
た旅たつ立に我々にむかひて
行末衛しらぬ旅路のうさあまり覚
束なう悲しく侍れば見えがくれに
も御跡をしたひ侍ん衣の上の御情
に大慈のめぐみをたれて結縁せさ
せ給へとなみた泪を落す不便の
事にはおもひ侍れ共ども我々は
所々にてとヾまる方おほし
唯只人の行にまかせて行べし
神明の加護必かならずつゝがなかる恙なかるべ
しと云捨て出つゝあはれ哀さ
しばらくやまざりけらし

一家に遊女もねたり萩と月

曾良にかたれば書とヾめ侍る
くろべ四十八ケが瀬とかや数しらぬ川を
わたりて那古と云浦に出担籠の藤
波浪は春ならず共とも初秋のあはれ哀
とふべきものをと人に尋れば是より
五里礒いそつた伝ひしてむかふの山陰に入いり
蜑の芦苫ぶきかすかなれば蘆の一夜の宿
かすものあるまじと云イいひをどされて
かヾの国に入

わせの香や分入右は有そ磯海


卯の花山くりからが谷をこえて金
沢は七月中の五日也爰に大坂より
かよふ商人何処と云もの者あり有それが
旅宿をともにす
一笑と云ものは此道にすける名の
ほのぼの聞へえて、世に知人も侍しに去年
の冬早世したりとて其兄追善
を催スすに

塚もうご動け我泣声は秋の風

ある草庵にいざなはれて

秋すゝし涼し手毎にむけや瓜天茄茄子

途中唫

あかあかと日は難面も秋あきの風


此所太田の神社に詣斎藤別
当真盛実盛が甲錦の切あり其往昔
源氏に属せし時義朝公より 給はらせ給ふとかや
げにも平士のものにあらず目庇より
吹返しまで菊から艸草のほりもの金
をちりばめ 竜頭に鍬形打たり
真盛討死の後木曽曾義仲願
状にそへて此社にこめられ侍る
よし 樋口の次郎が使せし事共
まのあたり縁記起にみえたり

むざんやな甲の下のきりぎりす


山中の温泉に行ほど白根が嶽
跡にみなしてあゆむ左りの山際に
観音堂有あり花山の法皇三十三所
の順礼とげさせ給ひて後大慈大悲の
像を安置し給ひて那谷と名付給ふと也
那智谷組汲の二字をわかち侍しとぞ
奇-石さまざまに古-松植ならべて
萱ぶきの小堂岩の上に造り
かけて殊勝の土地也

石山の石より白し秋の風


温泉に浴す其功有間明に次と云

山中や菊はたをおらぬ湯の匂

あるじとするもの物は久米之助とて
いまだ小童也かれが父俳諧を好てみ
洛の貞室若輩のむかし爰に
来りし比風雅に辱しめられて洛
に帰りて貞徳の門人となって世に
しらる功名の後此一村判詞の料を請ず
と云今更むかし物語とは成なりぬ
曾良は腹を病て伊勢の国長嶋島
と云処所にゆかりあれば先立て旅
立行に

ゆきゆき行行てたふれ伏共とも萩の原  曾良

と書置たり行ものゝ悲しみ残る
ものゝうらみ隻鴨鳧のわかれて雲に
まよふがごとし予も又

けふ今日よりや書付消さん笠の露


大聖持の城外全昌寺と云いふ寺に
泊とまる猶かゝ加賀の地也曾良も前の
夜此寺に泊りて、

終宵秋風聞やうらの山

と残スす一夜の隔千里におなし同じ
我吾も秋風を聞て衆寮に臥ば
明ぼのゝ空ちかふ近う読経聞こゆる声すむまゝに板鐘鐘板
鳴て食堂に入けふは越前の
国へと心早卒にして堂下に下ルるを
若き僧共ども紙硯をかゝへえ て階の
もとまで追来ルる折節庭中の
柳散れば

庭掃て出ばや寺に散柳

とりあへぬ一句さまして草鞋ながら書捨ツつ
越前の境吉崎の入江を舟に
棹指して汐越の松 を尋ぬ終宵嵐に波をはこばせて
 
   月をたれたる汐越の松   西行
この此一首にて数景尽たり若もし一
弁を加ルるものは無用の指を立るがご
とし
丸岡天竜寺の長老古き因あれば
尋ぬ又金沢の北枝と云いふものかりそ
めに見送りて此処までしたひ来ルる所々
の風景過さずおも思ひつヾけて
折節あはれなる作意など聞ゆ
今既別に望みて

物書て扇引割さく名残余波哉

五十丁山に入て永平寺を礼す道元
禅師の御寺也邦機千里を避て
かゝる山陰に跡を残しのこ し給ふも貴き
故ゆへ有とかや

福井は三里計なれば夕飯した
たゝめて出るにたそかれの道路たど
たどし爰に等栽と云古き
隠士有いづれの年にやか江戸に
来りて予を尋遙十とせ余り也
いかに老さらぼひて有にや将死け
るにやと人に尋侍ればいまだ
存命してそこそことをし教ゆ
市中ひそかに引入てあやしの
小家に夕貌へちまのはえかゝりて鶏
頭はゝ木ヾに戸ぼそをかくす扨さて
は此うちにこそと門を扣ば侘し
げなる女の出ていづくよりわたり
給ふ道心の御坊にやあるじは
この此あたり何某がしと云ものゝ 方に行
ぬもし用あらば尋給へと云いふかれが
妻なるべしとしらるむかし物
がたりにこそかゝる風情は侍れと
やがて尋あひて其その家に二夜
とまりて名月はつるがの湊みなとに
と旅たび立等栽も共に送らんと裾
おかしうからげて道路の枝折とうかれ
立

漸白根が嶽かくれて比那が
嵩あらはるあさむづの橋をわ
たりて玉江の芦蘆は穂に出にけり
鶯の関を過て湯尾峠を越れ
ば火打燧が城か へる山やまに初雁を聞
て十四日の夕暮ぐれつるがの津に
宿をもとむ
其その夜月殊晴たりあすの夜もかく
あるべきにやといへば越路のなら習ひ
猶明夜の陰晴はかり難がたしと、あるじに
酒すゝめられてけいの明神に夜参す
仲哀天皇の御 廟也社頭神さびて
松の木の間に月のもり入たるおまへの
白砂霜を敷るがごとし往昔
遊行二世の上人大願発起の事
ありてみづから葦草を刈土石を荷ひ
泥渟をかはかせて参詣往来の煩
なし古例今にたえず神前に
真砂を荷ひ給ふこれを遊行の砂持と
申侍ると亭主のかたりける

月清し遊行のもてる砂の上

十五日亭主の詞にたがはず雨降

名月や北国日和定なき


十六日空晴霽たればますほの小貝ひろ
はんと種の浜に舟を走スす海上七
里あり天屋何某と云もの破籠ささ
へ小竹筒などこまやかにしたゝめさせ僕あ
また舟にとりのせて追風時の間ま
に吹付着ぬ浜はわづかなる蜑海士の小家
にて侘しき法華花寺あり爰にちや茶
をのみ飲酒をあたゝめて夕暮ぐれのさびしさ
感に堪たり

さび寂しさやすま須磨に勝かちたる浜の秋

波の間や小貝にまじる萩の塵

其日の日記あらまし等栽に筆をとらせて
寺に残スす
露通もこの此みなと迄まで出むかひてみのゝ
国へと伴ふ駒をはやめにたすけられて大垣の
庄に入ば曾良も伊勢より来り合
越人も馬をとばせて如行が家に
入集る前川子荊口父子其外
したしき人々日夜とぶらひてふた
たび蘇生のものにあふがごとく且
よろこ悦び且なげきていたはる旅のもの物うさも
いまだやまざるに長月六日になれば
伊勢の遷宮おがまんと又ふね舟に
乗のりて

蛤のふたみに別わかれ行秋ぞ

了


 従来、「岩沼に宿る」として、笠島の末尾にあったとした一文だが、真蹟本では、全体のバランスは欠くものの「武隈の松」の章見出しの役割を負っていたらしい。素龍の独断によるものか、芭蕉も承認したものかは不明