芭蕉db

春立つや新年ふるき米五升

(真蹟短冊)

(はるたつや しんねんふるき こめごしょう)

似合はしや新年古き米五升

(鵲尾冠)

(につかわしや しんねんふるき こめごしょう)

我富めり新年古き米五升

(真蹟短冊)

(われとめり しんねんふるき こめごしょう)

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 貞亨元年、41歳。この年は、立春が12月22日に来ているから、本当は天和2年暮ということになる。

春立つや新年ふるき米五升

 芭蕉庵には米櫃の瓢<ひさご>があった。名づけて「四山の瓢」である。この命名は素堂による。この米櫃、実は米が5升しか入らなかった。よって、瓢にいっぱいの米を持ち越して年を越えたというのである。よって「我富めり」ということになるが、当時の常識からしても5升の米は貧しさの象徴であった。
 ただし、「
似合はしや新年古き米五升や「我富めり新年古き米五升」はそれぞれ初案及び改訂の過程であり、この段階ではまだひさごに「四山の瓢」の銘はなかったので作句のイメージの中に米櫃の意識は無かっかも知れない。