徒然草(下)

第177段 鎌倉中書王にて御鞠ありけるに、


 鎌倉中書王にて御鞠ありけるに*、雨降りて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせんと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道*、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土の煩ひなかりけり。「取り溜めけん用意、有難し*」と、人感じ合へりけり。

 この事を或者の語り出でたりしに、吉田中納言の*、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥かしかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異様の事なり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ*

鎌倉中書王にて御鞠ありけるに:<かまくらのちゅうしょおうにておんまりありけるに>と読む。中書王は、後嵯峨天皇の第一皇子、宗尊親王<むねながしんのう>(1242〜1274)のこと。1252年、鎌倉幕府に下向して第6代征夷大将軍となったが、1266年北条時宗によって失脚させられる。中書王は、中務卿という職にあり、その唐名を中書王といったことによる。一文は、中書王の庭で蹴鞠をやっていたところ、。中世という時代の有職故実では、役職名について日中両国名が付いていて、これをよく知悉していることが上流階級の必須の教養であった。

佐々木隠岐入道:源平争乱の宇治川の合戦で名馬スルスミに乗って先陣を切った佐々木高綱の甥で佐々木正義(1208〜90。鎌倉政権の近習。

取り溜めけん用意、有難し:おがくずを用意しておいたという準備のよさは天晴れである。

吉田中納言の:この人は未詳。

庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ:庭を管理する責任者は、乾いた砂を用意するなどはし 古くからのきたりであるという。


 この時代、「故実」の分からない役人という者は最低だったのである。まして、鎌倉幕府の役人となればなお一層。しかし、いま、故実を主張して改革をしない役人こそが問題だが・・・・


 かまくらのちゅうしょおうにておんまりありけるに、あめふりてのち、いまだにわのかわかざりければ、いかがせんとさたありけるに、ささきのおきのにゅうどう、のこぎりのくずをくるまにつみて、おおくたてまつりたりければ、ひとにわにしかれて、でいどのわずらいなかりけり。「とりためけんようい、ありがたし」と、 ひとかんじあえりけり。

 このことをあるもののかたりいでたりしに、よしだのちゅうなごんの、「かわきすなごのよういやはなかりける」とのたまいたりしかば、はずかしかりき。いみじとおもいけるのこぎりのくず、いやしく、ことようのことなり。にわのぎをぶぎょうするひと、かわきすなごをもうくるは、こじつなりとぞ。