徒然草(上)

第25段 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば


 飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば*、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん*。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき*

 京極殿・法成寺など見るこそ*、志留まり、事変じにけるさまはあはれなれ*。御堂殿の作り磨かせ給ひて*、庄園多く寄せられ、我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時*、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門・金堂など近くまでありしかど、正和の比、南門は焼けぬ*。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院ばかりぞ、その形とて残りたる*。丈六の仏九体、いと尊くて並びおはします。行成大納言の額*、兼行が書ける扉、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華堂なども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき礎ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ*

飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば:「飛鳥川」は、奈良県中部を流れる川。高取山に源を発し、畝傍 <うねび>山と天香具山の間を流れ、大和川に注ぐ。昔は流れの変化が激しかったので、定めなき世のたとえとされた。また、同音の「明日」の掛け詞や枕詞としても用いた。[歌枕]「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」〈『古今集』・雑下〉。

桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん:桃やスモモの花が昔のように咲いていたとて、物言わぬ彼らと何を話せばいいというのか。

まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき:まして、昔のやんごとなき人の住んでいた跡などは、いたってはかないものだ。

京極殿・法成寺など見るこそ:「京極殿<きょうごく どの>」は藤原道長(966〜1027)のことで、「法成寺<ほうじょうじ>」は道長の建立による京都市上京にあった寺。広壮な規模を誇ったが、後に火災に遭い、南北朝初期には廃絶(『大字林』より) 。

志留まり、事変じにけるさまはあはれなれ:仏法の国家護持という志だけで、事実は消滅してしまったのは、実にあわれをもよおす。

御堂殿の作り磨かせ給ひて:<みどうどののつくりみがかせたまいて>と読む。「御堂」は道長のこと。かれは、この法成寺を絢爛豪華につくらせ、この寺に多くの荘園を寄進したものの結局崩壊したのである。

我が御族のみ、御門の御後見、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時:藤原家という自分の一族だけを天皇の後見にして、世の守護者として、子々孫々まで権勢を振舞えるものと思ったのだろうに。

正和の比、南門は焼けぬ:1314年3月、南門消失 。

無量寿院ばかりぞ、その形とて残りたる:「無量壽院」は法成寺の仏殿の正式な名前。それだけが法成寺の形見となって残っている。

行成大納言の額:藤原行成(972〜1027)。日本の三筆と言われた能書家 。額は彼の書いた書。

万に、見ざらん世までを思ひ掟てんこそ、はかなかるべけれ:「思い掟んこと」<おもいおきてんこと>前もって考慮して処置しておくこと。万事、自分の死後の時代までも考えて、 処理しておかなければ、はかないことになるのだ。


「欠けたることの無き」と望月の世を誇った藤原家一門だったが、今は廃墟の叢となる。まさに室町時代の「無常」のモデルであった。


 あすかがわのふちせつねならぬよにしあれば、ときうつり、ことさり、たのしび、かなしびゆきかいて、はなやかなりしあたりもひとすまぬのらとなり、かわらぬすみかはひとあらたまりぬ。とうりものいわねば、だれとともにかむかしをかたらん。まして、みぬいにしえのやんごとなかりけんあとのみぞ、いとはかなき。

 きょうごくどの・ほうじょうじなどみるこそ、こころざしとどまり、ことへんじにけるさまはあわれなれ。みどうどののつくりみがかせたまいて、しょうえんおおくよせられ、わが おおんぞうのみ、みかどのおんうしろみ、よのかためにて、ゆくすえまでとおぼしおきしとき、いかならんよにも、かばかりあせはてんとはおぼしてんや。だいもん・こんどうなどちかくまでありしかど、しょうわのころ、なんもんはやけぬ。こんどうは、そのご、たおれふしたるまゝにて、とりたつるわざもなし。むりょうじゅいんばかりぞ、そのかたとてのこりたる。じょうろくのほとけきゅうたい、いととうとくてならびお わします。こうぜいのだいなごんのがく、かねゆきがかけるとびら、なおあざやかにみゆるぞあわれなる。ほっけどうなども、いまだはんべるめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりのなごりだになきところどころは、おの ずから、あやしきいしづえばかりのこるもあれど、さだかにしれるひともなし。

 されば、よろずに、みざらんよまでをおもいおきてんこそ、はかなかるべけれ。