何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ*。かの木の道の匠の造れる*、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき*。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ*。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを*、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ*、最勝講の御聴聞所なるをば「御講の廬」とこそ言ふを*、「講廬」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。
今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ :何事も昔と違って、今時のものはもっぱら下品になっていくようだ。
かの木の道の匠の造れる:「木の道の匠」とは、指物師や漆芸師など木工製品の名人を総称。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき:手紙の文章なども、昔の人の旧い手紙などを見るとじつにすばらしい 。
たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ:書き言葉だけじゃなくて、話し言葉も近頃はどうもよろしくなくなっているようだ。
古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを:昔は、牛車に牛をつけるのを「車もたげよ」と言い、灯火の灯心を掻き立てることを「火をかかげよ」と言ったのだが、今では「もてあげよ」とか「かきあげよ」などと言う。なんとも面白くない。
「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ:<とのもりょうにんじゅたて>と読む。主殿寮は、律令制で、宮内省に属し、宮中の清掃、灯燭
<とうしよく>・薪炭など火に関すること、行幸時の乗り物、調度の帷帳などのことをつかさどった役所。とのもりのつかさ。とのもづかさ。とのもりりょう。しゅでんりょう(『大字林』より)
。一文は、「主殿寮の者ども、立って火をかかげよ。」というのを、今では「立ち明かししろくせよ」と言う。これも風情がなくて面白くない。
「立ち明かし」は松明、松明で明るくしろ、の意。
最勝講の御聴聞所なるをば「御講の廬」とこそ言ふを:「最勝講」は、毎年5月、吉日を選んで5日間、宮中の清涼殿で行われた法会。東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺の高僧を召して、金光明
<こんこうみよう>最勝王経全10巻を朝夕2座、1巻ずつ講じさせて、天下太平・国家安穏を祈った(『大字林』より)。この法会の折に天皇が聴講する場所を「御講の盧<ごこうのろ>」と旧くは言ったものだが、今日
では「講盧<こうろ>」などと略した言い方をする。これも面白くないと、古老は言っていた。
「言葉の乱れ」はかくの如し。兼好法師も怒るほど古くからあったものなどである。まして、今日テレビだの外国文化の 侵入?だの、言葉の「乱れ」は無い方が不思議なくらいのものである。
なにごとも、ふるきよのみぞしたわしき。いまようは、むげにいやしくこそなりゆくめれ。かのきのみちのたくみのつくれる、うつくしきうつわものも、こだいのすがたこそ おかしとみゆれ。
ふみのことばなどぞ、むかしのほうごどもはいみじき。たゞいうふことのはも、くちおしゅうこそなりもてゆくなれ。いにしえは、「くるまもたげよ」、「ひかゝげよ」とこそいいしを、 いまようのひとは、「もてあげよ」、「かきあげよ」という。「とのもりょうにんじゅたて」というべきを、「たちあかししろくせよ」といい、さいしょうこうのみちょうもんじょなるをば「ごこうのろ」とこそいうを、「こうろ」という。くちおしとぞ、ふるきひとはおおせられし。