-
芭蕉db
-
堅田十六夜の弁
-
(元禄4年8月16日:48歳)
-
望月の残興なほやまず*、二三子いさめて*、舟を堅田の浦*に馳す。その日、申の時*ばかりに、何某茂兵衛成秀*といふ人の家のうしろに至る。「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、声々に呼ばふ。あるじ思ひかけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。「園中に芋あり、大角豆*あり。鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ*」と、岸上に筵をのべて宴を催す。月は待つほどもなくさし出で、湖上はなやかに照らす。かねて聞く、中の秋の望の日、月浮御堂にさし向ふを鏡山*といふとかや。今宵しも、なほそのあたり遠からじと、かの堂上の欄干によつて、三上・水茎の岡*、南北に別れ、その間にして峰ひきはへ、小山いただきを交ゆ。とかく言ふほどに、月三竿にして*黒雲のうちに隠る。いづれか鏡山といふことをわかず。あるじの曰く、「をりをり雲のかかるこそ」*と、客をもてなす心いと切なり。やがて月雲外に離れ出でて、金風・銀波、千体仏の光に映ず。かの「かたぶく月の惜しきのみかは」*と、京極黄門の嘆息のことばをとり、十六夜の空を世の中にかけて、無常の観のたよりとなすも、この堂に遊びてこそ。「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」*と言へば、あるじまた言ふ、「興に乗じて来たれる客を、など興さめて帰さむや」と、もとの岸上に杯をあげて、月は横川*に至らんとす。
-
-
(じょうあけて つきさしいれよ うきみどう)
-
-
(やすやすと いでていざよう つきのくも)
-
文集へ 年表へ
-
-
錠明けて月さし入れよ浮御堂
-
鏡山に上った中秋の名月は、浮御堂に最初の光を当てるという。浮御堂よ、鍵を明けてこの月光を存分に取り入れよ。
-
やすやすと出でていざよふ月の雲
-
いざよいの月だというからなかなか出てこないのだろうと思っていたら、やすやすと出てきた。出たと思ったらあっさりと雲の中に隠れて、今度はいざよいらしくなかなか出てこない十六夜の月だこと。軽みの句。同じ情景を、ここで「十六夜や海老煮るほどの宵の闇」とも詠んでいる。
-
大津市本堅田満月寺浮御堂にある句碑と・・・
-
浮御堂。いずれも、牛久市森田武さん提供
望月の残興なほやまず:昨夜の中秋の名月の興奮さめやらずの意。
二三子いさめて:<にさんしいさめて>と読む。23人の人に励まされて。
堅田の浦:堅田は琵琶湖舟運の要の港。中世において日本海物資の集積地であり、京・大坂への物流の中心地であった。真宗第8代蓮如上人はここに布教の拠点を開いた。
申の時:<さるのとき>。午後4時ごろ。
何某茂兵衛成秀:竹内茂兵衛成秀。蕉門の俳人。
大角豆:<ささげ>と読む。つる性の豆。皮ごと食べられる。
鯉・鮒の切り目たださぬこそいと興なけれ:「素人の手並みで鯉や鮒の切れ身が無様なのは面白くないでしょうね」の意。急の珍客に慌てるのと嬉しさが伝わってくる。
月浮御堂にさし向ふを鏡山:浮御堂は満月寺。中秋の名月の晩なら、浮御堂に正面から月がさす時、月は鏡山の真上にあるという。なお,満月寺には千体佛が安置されている。
三上・水茎の岡:<みかみ・みずぐきのおか>と読む。三上は、膳所近くの山で別名近江富士という。水茎は近江八幡西の岡。
月三竿にして:「三竿」とは、日が竹竿三本分の高さに昇ることをいう。ここでは月に転用している。
「をりをり雲のかかるこそ」:西行の歌「なかなかに時々雲のかかるこそ月をもてなすかぎりなりけり」『山家集』を引用して、亭主が雲が時にはかからないと月は面白くない、と慰みを言っている。
「かたぶく月の惜しきのみかは」:藤原定家(京極黄門)の歌「明けばまた秋の半ばも過ぎぬべしかたぶく月の惜しきのみかは」を引用。
「ふたたび恵心の僧都の衣もうるほすなれ」:恵心僧都が比叡山横川恵心院からの琵琶湖の眺めを見ながら、満誓の歌「世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎ行く舟のあとの白波」に感動して涙を流したという故事。
横川:根本中堂のある横川。恵心僧都ゆかりの地。