「貝おほひ」序文


 小六ついたる竹の杖、ふしぶし多き小歌にすがり、あるははやり言葉の一くせあるを種として、捨られし句どもをあつめ、右と左にわかちてつれぶしにうたはしめ、其かたはらに、みづからがみじかき筆のしんきばしらに、清濁高下を記して三十番の発句合を思ひ、太刀折紙の式作法も有べけれど、我まゝ気まゝに書ちらしたれば、世に披露せんとにはあらず、名を「貝おほひ」といふめるは、合せて勝負を見るものなればなり、又神楽の発句を巻軸に置ぬるは、歌にやはらぐ神心といへば、小うたにも予がこころざす所の誠をてらし見給ふらん事をあふぎて、当所あまみつおほん神のみやしろのたむけぐさとなしぬ。
寛文十二年正月二十五日、伊賀上野松尾氏宗房、釣月軒にしてみづから序す。

解説

芭蕉処女撰集の俳諧発句合(はいかいほっくあわせ)一巻。寛文12年(1672年)制作。60の発句および芭蕉の判詞を、当時の流行語や小唄などを多用することによって仕立てた集。三十番発句合。芭蕉は、この年1月25日、 これを上野天神宮(上野天神)に奉納し、またこれをパスポートとして持参することで江戸俳壇に乗り込んだのである。 なお、刊本は、江戸の書肆「中野半兵衛」から出版され、江戸における芭蕉の存在を印象付ける大きな機序となった。