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芭蕉DB
野ざらし紀行
(外宮)
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 腰間に寸鐵をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ*。僧に似て塵有。俗に
ゝて髪なし*。我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて*、神前に入事をゆるさず。
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 暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表*の陰ほのくらく、御燈處ゝに見えて、また上もなき峯の松風*
、身にしむ計、ふかき心を起して、(みそかつきなし ちとせのすぎを だくあらし)
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みそか月なし千とせの杉を抱あらし
 外宮の千年杉が、三十日の月の無い漆黒の闇の中に屹立している。その根方に立って見上げると、樹間を通る秋の強い風に黒々とした枝が揺れる。それは、この杉がまさに嵐に抱かれているといった威容である。
 古来、抱くのが嵐か、作者芭蕉かで議論になっているが、ここでは嵐と解釈した。
腰間に寸鐵をおびず、襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ:<ようかんにすんてつをおびず、えりにいちのうをかけて、てにじゅうはちのたまをたずそう>と読む。「寸鉄」は、腰につけた「あいくち」のこと。「一嚢」は、首から提げた「ずたぶくろ」。「珠」は手に持つ数珠のこと。これらは、旅の僧侶の標準的スタイル
。
僧に似て塵有、俗に 
ゝて髪なし:僧のような格好でありながら俗人であり、俗人なのに剃髪している。
浮屠に属にたぐへて:<ふと>と読む。僧に属するというのでの意。この当時、伊勢神宮は仏徒の参拝を許さなかった。
一ノ華表:<いちのとりい>と読む。
上もなき峰の松風:西行の歌「深く入りて神路の奥をたづぬればまた上もなき峰の松風」(千載和歌集)を引用。