芭蕉db

春もやや気色ととのふ月と梅

(真蹟自画賛/続猿蓑)

(はるもやや けしきととのう つきとうめ)

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 元禄6年春。自画讃を含む画讃の句。『続猿蓑』下巻春之部の「梅」に再掲。

春もやや気色ととのふ月と梅

 長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。これで早春の役者は十分に揃ったのである。おだやかな季節の移り変わりをゆったりと画と句に表現する。 兼好『徒然草』第19段を引用か?


東京渋谷区内某寺にある(牛久市森田武さん提供)

森田さん撮影メモ 当寺のお嬢様にお話を聞く機会がありました。当寺は、大きな大名のお墓が幾つもあるような由緒ある寺で、芭蕉さんや江戸の蕉門の人々も、当寺で句会等を催したと言い伝えられているそうです。
 しかし、廃仏毀釈の嵐や、戦後は土地区画整理等で、広大な寺領の土地は削られ、食うがために、庭は起こされ桑畑になった時もあったそうです。
 そして、関東大震災、第二次大戦と2度の苦難を浴び、現在は、虚しく寂れ、昔日を伝えるのは、大名の墓跡や、奇跡的に残った鐘楼、一部欠けた芭蕉の句碑などでした。
 しかし、削られたと云っても荒れ果てた庭は広く、戦後に植えた紅葉も今では大樹となって、渋谷の喧騒の街に、そこだけ別世界のように静まり返っていました。